体罰、虐待、手を挙げる、しつけ、いたずら

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子供から相談を受ける活動をしている団体メンバーになり数年経過し、リアルな子供たちの悩みを肌で感じでいます。

(チャイルドライン2013年度実施報告)スクリーンショット 2016-02-02 11.31.58

チャイルドライン支援センターの報告には、虐待が802件もあります。暴力、体罰をあわせると、子供たちはどれだけひどい状況なのか。。。この電話は匿名性なので、どこの誰かわかりません。すぐに助けることができないのです。それでも、電話してくれる幼い女の子や男の子は大人に救いを求めています。周囲に言えないのは虐待が身近な大人から受けているという背景が想像でき、一刻も早く救い出さなければいけない状況の場合もあります。本来ならその場に行って緊急保護したい性的虐待もあります。

 

乳児院の抱っこボランティアをして、親の虐待や貧困が理由で手放された赤ちゃんを目の前に抱き、このままで良いと思えませんでした。きっと私以外の人たちも同じ想いだったと思います。ボランティアをしている時間だけはその子は温かい両手で抱かれていたけれど・・・それで根本的な解決にはならないというのは、実際にボランティアをしてわかったことです。すればするほど無力さは増すばかりです。

 

(平成25年児童相談所、虐待相談件数)

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2000年に児童虐待防止法が施行されましたが、虐待相談件数は増えています。通報しても適切な保護に結びつかないケースもあり、幼い子が虐待死したニュースを見てもどかしさを感じている人は多いと思います。しつけと虐待はグレーという人がいますが、私は過去に虐待をうけた若者たちと関わり、彼らが話す言葉を聞いてきました。「”意味もなく”殴られる」「寒空の中、裸足で外に出された」これらの親の行動は子供には”しつけ”にうつっていません。そればかりか親子の信頼関係が崩壊していきます。それはその子自身の家族崩壊につながるので、”子供のためを思ってやってます”という言い訳はそろそろ苦しい。

「親の立場で見ると虐待は見えてこない」

ルポライターで衝撃的な虐待の本「ネグレクト」の著者杉山春さんの言葉。

「なぐる=手を挙げる、性的虐待=いたずら」

言葉の書き換えに疑問がある、とDV被害者支援や母娘問題に詳しいカウンセラー信田さよ子さん。

いたずら・・・って。ニュースでも平然と言っているけれど、どんなひどいことしたか、その簡単な言葉で終わらせないでほしい。大人がまだ分別がつかない幼い少女、少年の体を性的な目的で触るんです。触るだけではなく、行為に及ぶことも。そんなことを「いたずら」って言わないでほしい。そういえば、毒母からの支配、過干渉をNHKが「優しい虐待」って言っていて、とっても不愉快でした。

 

これらは全部、大人側からの言葉。言葉が都合よく置き換えられていて、なぜかソフトになっている。

 

 

(子ども虐待防止オレンジリボン活動の子供からの手紙)

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私も幼少期、母からの独自のルールで支配されてきました。まぁとにかく色々なルールがありました。歪んだ過保護っぷりはひどいものでした。

自分の子が一番かわいい、これは母の口癖。私が生まれた病院の話を未だにします。看護師長さんはあなただけを抱っこしていたのよ、あなたは特別と。絶対それは勘違い。

女の子なんだから・・・という言葉がすべての冒頭につき、行動範囲は狭くなっていきました。

外で遊んで転んだらどうするの?肘や膝に怪我したら?もしも滑り台から誤って落ちたらどうするの!?自転車で転んだら?外遊びが禁止になりました。虫歯になったらどうするの?お菓子は禁止、お菓子を出す友達の家禁止、お祭り禁止、駄菓子屋さん出入り禁止。極め付けは「誘拐されたらどうするの!」でした。もう何もできません。

外遊びは筋力を鍛えるだけではなく、同じ年頃の友達と遊ぶことでその間でルールを作ったり、問題ができたら解決したり、脳フル回転です。大人の中で経験できないことがたくさんあります。

 

勝手にたくさん作られたルールを守らないと暴力を振るわれます。虐待という言葉はまだありませんでした。何の権利があって母親の自由に殴られないといけないのか不思議でした。母の言い分はルールを破ったから殴るのは当然というものでした。でもそのルールは母親が勝手に作ったものなので、そもそも守る必要のないものや理不尽なものばかりでした。

ストレス発散のために私の部屋がぐちゃぐちゃにされたことも何度もありました。その時のスッキリした母の顔が焼き付いてます。綺麗に飾ってあった自分の大事なものなどは一瞬で壊されました。まさに劣悪な環境です。あの頃、児童相談所を知っていれば・・・。

一方で、先に述べたように未だに私が生まれた時のことを自慢の女の子として他人に説明するのは続いています。久しぶりに会う恩師に「ウエディングドレス姿の写真を見せてあげたら?」と言うことがあり、こんなアラフォーになった人のそんな過去の姿、家族以外の誰が見たいの?って冷静な人間ならわかるはずなのに、世間の人は喜ぶと信じています。暴力を振るったり、自慢したり、実母の頭の中は一体どんなことになっているのでしょうか。

書き綴れないほどのやりたい放題の母だったけれど、これは、された側ではないと苦痛を理解するのは難しい。ひとつ言えることは、自分の産んだ子どもは自分の思い通りに動く「モノ」だと思っている。あのまま母親との生活が続けば統合失調症になっていました。友達がひとりもいないと語る鳥居みゆきみたいになっていたと思います。

この想い、誰にもわかってもらえないだろうと諦め、長年生きていたのですが、村山由佳さんの放蕩記がまさに実母のことを描いた物語でした。私はずっと心の底にたまった泥のような母親との関係を初めて誰かに理解されたと思い、心が救われました。著者の半自伝。毒母とはこういうものを知ることができます。

 

 

体罰、虐待、手を挙げる、しつけ、いたずら

言いかたは色々あるけれど、された側が虐待と言うなら、それは虐待です。

しつけか虐待かボーダーがわからないという人は、子供をひとりの人間として尊重することをベースに考えてみると、方法は見えてきます。

子どもによる子どものための「子どもの権利条約」という本はとても優しく、子供でも読めるように簡単に訳してあります。子どもの視点で考えてみましょう。

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