マツコ有吉の「怒り新党」マツコが語る「子どもの写真つき年賀状ー全文」
のブログの続きです。
夏目アナは独身でしょ、そりゃ、子供の年賀状は気になりませんよね。今、子供の年賀状が気になるという不妊治療しているほとんどの人は、独身の頃、夏目アナと同じ言葉を発してたでしょう。経験か、想像力か、若いというのはいろんなものが見えなくて良い場合があります。
私は前置きすると、小学生から年賀状作成が大好きでずっと続けてました。その人のことを思い浮かべて書く年に一度の地味な作業を楽しんでました。日本の大切にしていきたい「年賀状文化」から離脱するまでをザッと書いてみたいと思います!
結婚した年(28歳)、「結婚しましたハガキ」をきっかけにそれからも夫婦の旅行だのイベントだのをまとめて写真を構成し、1人1人丁寧に文字もいっぱい書いてました。*マツコにうざいと言われるくらい。。。しかし、徐々に同級生からの「産まれましたハガキ」がラッシュを迎えます。
この頃すでに私は不妊治療を開始していて、妊娠しないまま年が終わり、何も変わらない二人家族に寂しさ覚え、自分の人生が何も前進していないと感じていました。周囲が妊娠していく中、劣等感もピークに達し、またひとつ年を取ってしまうお正月はあまり嬉しくない時期。
それゆえ、生まれたての赤ちゃんを囲む他人の家族の年賀状写真を見るのは、申し訳ないけれど苦痛に。
2度の流産と死産をしていますが、そんな年でも「産まれました年賀状」は届きます。
産まれていたら、こんなかわいい赤ちゃんが家にいるんだ・・・
幸せな家族とそうなれない家族の違いって何だろう?なんとも言えない悲しみが正月そうそう押し寄せます。いろんなことが重なる年頃なのです。
ありがちですが、結婚式から全く会っていない人とも年賀状交換は続いていました。毎年「子供はいいよ〜、早く子供作んなよ!」だけの年賀状や、「子作りしてんの?」という一言だけの人もいた。とにかく”妊娠”にまつわるネタばっかり。
きっと書くことが無いから書いているだけ・・・挨拶、挨拶・・・それはわかっている。
今、そういう彼女たちの目には子供しか映っていないから、きっと世の中の全ての人が子供を産むと幸せになれるのにどうして子供を早く作らないのだろう、謎だわ、不思議だわ、と思って、私にそんなメッセージを書いてきたのかもしれない。
有吉の言うように「深い意味はない」、でも、ストレスを感じたり傷ついたりしながらこの年賀状交換は意味がないな〜と思っていた。
そんな嫌だなと思いつつ惰性で続けていた年賀状ですが、36歳(結婚8年、治療を始めて6年)引っ越したことをきっかけに、新住所を知らせず晴れて年賀状をやめることに成功しました!!!
この年は死産をしたので、正確には喪中です。が、喪中ハガキは出していません。私の精神状態が不安定で、その時に「赤ちゃん産まれました年賀状報告」だけは避けたい・・・と判断し、年賀状を作成せず、来たものにも返事を出さず、ひたすらひっそり身をひそめていました。
親しい人には送って、親しくない人には送らない、
そんな仕分けができる状態ではなかったので、「子供だけの年賀状」と縁を切ったことのみならず、すべての人と交換がストップしました。
そもそも自分の人生に深く関わりのある人とは会っている、もしくは最近はFacebookで近況は知っている。
わかったことは、
年賀状をやめて私が困ったことは1つもない!!
そして、
私が返事を出さなくてもその友達にはなんの問題もない!!
ということ。
差出人は私からの返事を首を長くして待っていないし、100枚、200枚印刷するから人数合わせで送っているだけ。こっちがそんな1枚に多大なストレスを抱えているなんて想像もしていない、そして差出人との関係は、やめても全く変わらない。それで終わりの人はそれで終わりの人。
だから、その年賀状を嬉しく思えない状況だったら、「今は」年賀状交換やめてもいいと思います。
もっと早く離脱しても良かったと思います。
1、行方をくらます
引っ越しをして新住所を知らせない。
でも、これはなかなかすぐにはできません。
でも年賀状はつらい・・・という方は、
2、ゴミ箱に捨てる
郵便ポストから直行です。
ひどい!!と思うかもしれませんが、そうです、ひどいんです。それくらいストレスを感じているという行事ってことでお許しを。。
一瞬でも写真を見るのが耐えられぬ人は裏返して宛名を見てポイポイ捨てます。それも嫌なら輪ゴムでまとめられてるままポイ!お年玉年賀葉書が当選しているかもしれない・・・なんてセコいことは考えないで、どんど焼きに放り込む勢いで。
思い切って捨ててみるとその自分の行動にスッキリして、そこまでしなくてもいいんじゃないかなって気持ちに変わり拾うかもしれません。
最後は、郵便ポストにも届くのも嫌!!私のテリトリーに年賀状は進入禁止じゃ〜という人は、
3、「喪中ハガキ」を利用する
誰もお亡くなりになっていなくても、飼ってたカブトムシ、亀、金魚、メダカ、近所の野良猫が亡くなった・・・それを数年繰り返したら年賀状送付リストから確実に消されるでしょう。
とにかくストレスを受ける対象に年賀状があるならば、それを見て微笑むように努力する必要はないんです。年の初めからがっくりしたくないですよね。防げることはあります。
理由なく年賀状が嫌って言っているわけではありません。
少し考えてみましょう。「なぜ」というところを。
年賀状を見るのがつらいのは、今あなたが赤ちゃんを授かりたくて頑張っているけれど結果がともなわず、いくら努力してもしても今年もダメだった・・・という個々のストーリーがあるからですよね。
この友達の妊娠は喜べるけれど、この友達のは喜べない・・・なんてこともあるでしょう。
できちゃった結婚した人や、自分よりもあとに結婚した人が妊娠したり、自分が頑張っても叶えられないことをひょいっと叶えた人の報告は、やっぱり手放しで大喜びすることができない気持ちがあります。自分の不妊と相手の妊娠は無関係。そんなことは百も承知です。彼女たちが私の妊娠を妨げたことはありません、むしろ喜ぶと思います。でも、つらいんです、見るのが、だってそれが人間なんだもん。私はブッダじゃないんです。執着もするし、嫉妬もします!!
その写真の子供が嫌いなわけじゃない、赤ちゃんの顔が天使みたいでかわいいから、胸を痛めているんですよね。 だから、「今は」自分の胸に手をあてて、自分の気持ちを優先してもいいんじゃないかな。相手はそれほど年賀状の返事を重要と思ってないことだし。
そして!これは大事。やっぱり、根本にあるのは視聴者ハガキの
「お子さんの成長にあまり興味はありません」がすべて。
マツコの感情はわかります、不妊の人と似ている部分ありますよね。「オカマはなんかずっと一人で他人の子供の成長を見てニコニコしてればいいんですか!お正月から!」という言葉。はっきり言ってくれてすっきり。
しかし有吉は?不妊でもない、独身。でも子供の年賀状はダメというのはマツコと同意見。一度も会ったことない子どもにかわいさって一般的に湧かないんです。犬や猫は写真でもかわいいのに、なぜだろう。子どものかわいさって顔じゃなくて行動とか、発想や言動が面白い。やっぱりその子と関わりがないと、会わないと成長の楽しさや可愛さってわからない。
まったく会ったことない子供の写真だけ見ても・・・ね。
そのことを理解すれば、会ったことない人に”子どもだけの”年賀状は送らない、というのが結論です。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)