死産してから4年になります。2011年は、どんな人にとっても忘れられない大きな震災があり、テレビでも毎年「あれから・・・年」と区切りをつけて特集されますよね。その年は、妊娠そして死産をした年で、テレビ特番を見ると、あの頃は赤ちゃんのために必死だったな、と思い出します。
コウノトリの会で流死産を経験した人同士で話す時、お墓の話題があがることがあります。ほとんどあがります。家に置いているの?それともお墓に入れている?
死産の特徴として、赤ちゃんがいた証のように残るものは少なく、へその緒、髪の毛、足形と限られています。
私は、遺骨をできるだけ近くに置いときたい、、、という思いがあり、ベットサイドに妊婦だった時の写真とともに置いていました。そうじゃないと眠れなかったし。お墓に入れると離れてしまう気がしたし、お墓の中は暗いし寒いかなと考え、私が死んだ時にお墓に一緒に入れてくれればいいと夫に伝えていました。
でも去年の秋に納骨したんです。大きな心境の変化でした。
去年の夏、私の友達がお盆のお墓参りの話しをしたんです。「私たちの子供が入ってるでしょ〜」とさりげなく。友達は15年前に死産を経験しています。その子の遺骨はご先祖様のお墓に納めてあり、毎年コーラとか子供が好きな飲み物を夫婦でお供えしているということを初めて知りました。こんなに長い長い長い付き合いで、いつも笑ってなんでも話しをしてたのに、そんな大事なことを初めて知って、その子の性別も初めて知ったんです。本当に私はその友達の話しを聞くことも、お墓に行って手を掌わせることもしてこなかった、深く反省しました。
そして、「毎年夫婦でお供えする」という夫婦の行事を素敵だな・・・と思いました。
お墓は、私の父も眠っているお墓に入れました。うちの子の名前入りプレートもしっかり付き、家族の一員になった気分です。
そして今年、初めてお墓参りへ出かけました。急に雨もあがりしばらく芝生に座って話しをしてました。
夫が、「(自分は)せっかく生まれてきたのだからやりたいことは迷わずやろう、精一杯生きる」とお墓を前に誓ってました。そして、何か苦しいことがあったらその度にこの写真を見る、と。
あの子のことを思い出すと苦しい時もあったけれど、
苦しい時に勇気をもらうために見るようになるとは。
色んなことを経験させてあげたかったし、どんな大人になるのか親の楽しみでもあった。4年経ち、生まれてくることができなかった命を前に、そんな心境になったみたい。
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1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)