子育ても、経済も、「私たちの頃はね・・・」と先代たちは語りたがりますよね。
時代とともに不妊はどう変わってきたか考えてみました、、、
不妊の今と昔
私が不妊治療を始めた、というか、不妊を疑い産婦人科の予約をしたのが30歳(若い!)病院のスタッフや医師という医療従事者といえども、”私が今、赤ちゃんが授からなくて困っている”という状況を知られること自体が恥ずかしかった記憶があります。
2004年、特定不妊治療費助成制度がスタート。あの頃は不妊をカミングアウトしている芸能人はいなかったよね。不妊治療ブログもそんなになかった。2005年に巨大掲示板で有名なジネコが広まり、私がブログを始めたのもこの年、ネット上の情報交換が一気に始まった。2008年ジネコフリーペーパー創刊。
不妊事業や支援がはじまりだした頃ですね。
ブログでは、今日は注射した痛かった、今日はお金がこんなにかかった!、今日は3時間待った、排卵日が気まずい、月経がきた、子供はまだかと聞かれた・・・などなど、公に言えないあれこれを書き綴りました。
あれから10年経ち、社会はどうなったか。
芸能人の相次ぐ不妊治療カミングアウトにより「不妊」が一般的に知れ渡りました。「すごくお金がかかる」というレベルではかなり周知されましたよね。
重篤な疾患以外の人でも不妊になる可能性があるとわかり、偏見は減ったでしょう。不妊の気持ちを吐き出す掲示板サイトもジネコ以外に増え、助成金もアップした。ファッション誌でも不妊特集が(卵子提供まで)取り上げられ、早いうちから妊娠出産のことを知るのは大切だということが周知されました。
で ・ す ・ が・・・
みんなの心の悩みは変わってません。いくら時代が変わっても、悩みは同じ。
排卵日のこと、友達の妊娠報告、月経の落ち込み・・・”時代”は変わっても”不妊の悩み”は同じです。
社会が暖かい眼差しで不妊当事者を受け入れてくれるようになってきたのは事実です。ありがたい。でも話難いカテゴリーなんです。
当事者の集まりに参加したのは、治療を始めて4年くらいかな。不妊クリニックの患者会でした。話続けて、、日が暮れて、、、
その時の感覚が原動力となり、今の活動につながっています。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)