IFCAという社会的養護のもとで育った若者の団体があります。先日、社会的養護を考えるシンポジウムがありました。受付にはSちゃんが。いつも元気、笑顔。
私の相談室でコウノトリの会「特別養子縁組を考える会」を去年から開催していますが、縁組希望者には社会的養護のもとで育つ子について知ってほしい思いから1部は里親制度も含めて社会的養護を知る、そして2部はトークにしています。本当は縁組希望者だけではなく国民全員が予期せぬ妊娠や乳児院の赤ちゃんのことを知り、考える必要があるのですが・・・
シンポジウムでは社会的養護のもと(乳児院・児童養護施設・里親)で育ったフォスターケアユースの声を聴くことができます。赤ちゃんは言葉は話せないけれど、成長した若者が赤ちゃんに変わって代弁します。
この日、日本ユースからはYさんとSちゃんがスピーチしてくれました。
Yさん(21歳男性)は生まれたときから乳児院に入り、小学一年生から15年間里親のもとで生活。
「今日はお母さんが来ています!」とちょっと恥ずかしそうに会場に目を。お母さんとは里親さんのこと。里親さんが手を振っていました。自然にお母さんと呼んでいる姿に、会場はホッコリした雰囲気に。
彼は、最初は里子であることを誰にも言いたくなかったそうです。並々ならぬ里親さんとYさんの努力により今があるんですね。現在は地域の里子が集まる会の代表を務めています。
今、彼は幸せということは親子を見て感じました。それと同時に、彼が生まれてすぐに乳児院に入り小学生まで施設を転々としていたことを思うと、もっと早く里親委託、もしくは特別養子縁組はできなかったのかと疑問を残します。”乳幼児期”の施設の暮らし・・・それはその時はわからなくても時間を奪います。成長に大切なものを奪います。
彼が赤ちゃんの時に関わった児童相談所の担当者はどんな思いで生まれてすぐの赤ちゃんを乳児院にずっと措置したのでしょうか。「障害の有無がわかるのは2歳だからそれまでは施設に」「実親がいつか引き取るかもしれない」という児相の意見をよくよくよく聞きます。もしもそんな考え方があって措置をしてる人が今もいるなら、今の彼を見て同じことを言えるのかな。
彼はこの数日後、里親さんと養子縁組を結び、実子となりました。やっと21年かかってです。赤ちゃんは言葉は話せません。もっと早い段階で赤ちゃんを中心に大人が話し合えば、0歳から親子の思い出が始まったはず。
続いてSちゃん(21歳女性)
以前のIFCAのシンポジウムで初めて会いました。元気でパワフル、素敵な女性、努力家です。
彼女は15歳から19歳まで児童養護施設に入所。職員さんはとても良い人ばかりだったけれど、施設では辛いこと苦しいことがたくさんあったと話しています。
歯を食いしばって我慢した辛い経験
自立はたった1人の戦い
私は普通の子ではない
彼女にそんな思いをさせてしまったのは大人です。
親が育てられない事実は変えられないけれど、その後のケアが不足しすぎです。児童養護施設に措置したらそれきりとか、18歳になったらもう知りませんとか・・・過酷すぎます、無理ですよ。
どこかの窓口の人じゃなく、常に一緒にいる大人に助けられて私たちは大人になったんじゃないのかな。行政支援は必要です、当事者団体も必要。でも家庭は後で作れない。
Sちゃんは、自分が嫌いだった、親から否定され続け、自己否定ばかりしてた。IFCAに出会い、米国ユースから「自ら声をあげることが大切だ」と言われ徐々にその気持ちは変化したと語っています。
「後輩たちに少しでも明るく先が見える未来を作ることが私の目標です」
Sちゃんを見ていると、私はまだまだ頑張らないといけないと思ってしまいます。
子を育てることは実子を生むことだけではありません。特別養子縁組、里親もあります。
不妊治療をしていると、子供を育てたい思いがどんどん強くなりますよね。実子へのこだわりはそれぞれあるでしょう。
子供にとって安定した環境を提供できるなら、そこから家族は生まれると思います。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)