初診(2012.5)
混んでいない時間帯をネットで調べ、夕方新しいクリニックに行きました。ドキドキ。
問診票に「妊娠の経験」というのがあり、「結果」もあった。
33歳 AIH 初期流産
35歳 IVF 初期流産
36歳 AIH 25週死産
書いてみるとやっぱり、考えちゃう。産まれてたらもう4歳か、とか。37歳で4歳の子、普通だよねそれって。
問診票を見て先生と話しを進めるんだけど、7ヶ月死産という件についてはやっぱり心臓がバクバクして、どどどどーーーっと急ぎ足で泣かないように一気にしゃべった。心の中ではぜーぜーしてた。だって、このことを家族じゃない人に話すことはなく、家族だって触れてはいけないのかと思って当時から聞いてこないし。面と向かい合わせでこの件について話すのは緊張する。自分が冷静さを保てるかということで未知だった。
先生は、顔を苦しそうにしながら「それは・・・、大変でしたね・・・」と本当に苦しそうに言った。
あ、なんか優しい言葉をかけられるともっと涙出そうになるので、我慢我慢。
紹介状はもらわなかったので、治療6年分が綴ってある不妊ファイルを持参。胚の写真とか、不育の検査結果などなど。ファイルは重い。
それをIVFを始めたときからひとつずつ検証しながら思い出しながら、薬剤などチェックしつつ一緒にめくる。私の歴史だな、、、これ。私が主役の不妊アルバム。全然うれしくないけどね。30歳という比較的若い頃から妊活しててもいまだダメなんだもんな〜っ・・・て思いながら。
そして、前の病院で最近やったAMHの結果を見せ、(数値は0.9・・・)
もうどうしようもなく低いことは確かだから、こんな私が転院してきて先生にしてみたら何ができるんだよ〜って感じだと思う。実年齢は37歳だけど数値では45歳OVER。かなしい。
でも先生は、「AMHが低いと確かに卵子ができにくいけど、質とは関係ないという説もあるんですよ。」とちょっと嬉しい話しをしてくれた。
そして、前の病院で胚盤胞を目指し、全滅している経緯があるので3日目凍結をしていたんだけど、全滅だけは避けたいのでここでも3日目凍結でやってみることになった。
まぁそれは卵子が採れればの話しなんだけどね。
2012年5月、さっそく1回目の採卵スケジュールが始まりました!
なんか最後の砦に辿り着けた気持ちです。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)