同性と異性についての違いについて書いてみようかと思います。
夫は男です。夫は同性から妊娠の報告を受けるとき、必ず「その人の奥さん」の話しになるわけです。お腹が大きくなるのも、出産の経験をするのもいつも“奥さん”の話し、その人の直接の話しではありません。
夫が見たこともなく会ったこともない同僚や部下の奥さんが妊娠したと聞くのと、私が友達が妊娠したと聞くのとはどのくらい身近に感じるか、影響があるか、全然違います。
ずっと昔、同じ学び舎に通っていた頃には私と同級生の間にはなんの差も無かった。同じ女性なのに、同じ生殖機能があるのに、どうして私にはできないの、叶わないの、経験できないの。いま、ほとんどの人がママ、特別すごいことしているわけでもないのに。。という感情が湧いてきます。
会食するときに子連れでくる男はいないでしょう。でも私たち女性は違う、妊娠中にランチすると、出産後の話しばっかり。出産後にランチすると陣痛の話し、しばらくすると育児の話し。頭の中がウニのように育児になっているんでしょね。母性本能かな〜赤ちゃんにとっては大事なことです。
マタニティウェアを着るのも彼女たちだけの特権。とっても楽しそうだし、幸せそう、何もかも手に入れているように見える。
なにより新しいステップへ進んでいる彼女たちは輝いて見えます。そして人生を充実しているように感じて、見ているだけの自分は取り残されている孤独感でとっても辛い気持ちになりました。
羨ましく思うのは、自分が望んでいることだから自然な感情。無理におさえる必要はないし、そんな自分を責める必要はない。だって、ママになりたくて頑張っているんだから、それを叶えた人を見て時にはつらくなってもそれは当然だよね。
でも、お腹の中で命を育て、その命は2人の遺伝子を引き継いでいるその様子は、とっても神秘的。無邪気に祝福できる人になりたい、って何度も思った。
男性は女性を責めているわけではないと思います。でも友達からの妊娠報告を聞く度に、女性は自信を無くします。私はそうです。何が違うの?私のあの人、どこが違うの?と・・・
生殖機能がなんらかの事情で不具合がある、なので妊娠しない。男性も女性も同じくらい原因があるのに、宿る側・産む側はどうしても女性なので、妊娠不成立には女性が責任を感じてしまうんです。2人で挑戦している不妊治療、でも「2人にできないこと」ではなく「自分にできないこと」って 思ってしまうんです。
友達が妊娠、、、という報告は「いいな〜」という羨ましい感情を生むだけではなく、どんどんどんどん自己肯定感が低下していきます。こんな自分は嫌、自分は何もできないと思ってしまう。「何も」って妊娠以外のことも全て感じてしまいます。そしてひとりの人間として「未熟」と感じるんです。
自分の思い込みだけではありません、社会の目がそうなんです。
「子供産んたらわかるよ」「子供産んだら一人前」「子育てしたこともないのに?」という言葉はそんな沈んだ気持ちを加速させます。
これらの言葉は、主に女性に向けられるもので、男性が社会から受けるストレスが1なら、女性は10000!!!だと私は思います。男性ごめんね。でもそうなの。
奥さんと不妊治療や夫婦の将来の話しをする時、このことを頭の中に思い出してみてください。きっと優しくなれます。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)