2014年も、残すところあとわずか。みなさんの今年はどんな年だっただろうか。何か新しいチャレンジはあっただろうか。そのチャレンジは成功しただろうか。それとも、途中で「あきらめて」しまっただろうか。
この「あきらめる」というコトバには、ほとんどの場合ネガな印象をもつだろう。何かを途中で投げ出したり、悪い状況を受け入れることを指すからだ。
しかし、それは違うのだ。「あきらめる」の語源を紐解くと、もともと仏教用語で「あきらめる=明らめる」と書き、「物事の道理、真理を明らかにし、こだわりを捨てること」という意味なのだという。
そう、実はとっても前向きで積極的な意味なのだ。
つづき→Marketer’s news
良いこと書いてますよね〜〜。嬉しいな。ネガティブな意味ではないって初めて知った!!
振り返ると、治療のスケジュールが最優先し、旅行を諦め、仕事では急に休めるポジションにとどまり、キャリアを積むことを諦めた・・・そして遂には、授かるために諦めてきたのに、「子供を授かること自体」を諦める時が迫っている。なんという悲劇。やるせないですね。どうしてもネガティブにしか考えられない。
もしも治療をやめたら、私の頭の中で想像していた「我が子との夢」を諦めることになる。「我が子としたいこと」考えたことありますか。口に出さなくても無意識に心の中に持っていると思います。
例えば私は、マタニティウェアを着たい、あのお店でベビー服を揃えたい、子供のために靴下を編もう、ファーストシューズ、ファーストスプーンはあれにしよう、親に孫を抱かせたい、子供にパパと呼んでもらう夫を見たい、子供が寝るときに絵本を読みたい、自分が遊んだ海に連れて行きたい、入学式に夫婦で正装して出席したい、受験勉強のときに夜食を作ってあげたい、、、
などなど、子供を諦めたらそのたくさんの願いが消えてしまう。
諦めたくない!諦めることを考えただけでつらい!!だったら治療続けていた方がいい!でも治療もつらいし・・・・、エンドレスな負のスパイラル突入。
私は諦めるから受けるイメージは、「負ける」とか「逃げる」でした。
でも、「明らめる」って漢字だと、ちょっと感じ方が変わりました。執着を捨てる、手放すって良く聞きますよね。ブッダの言葉ですね。
↓こんなのもあります。(あれ、今日は仏教の話になってきた。。)
【苦しみを生む執着とは?】
“貪欲(とんよく)に染まった人は
流れのままに押し流されていく
それはまるで
蜘蛛が自分で作り出した糸の上を
進んでいくようなものだ
一方賢者は
その貪欲を断ち切り
執着することなく
一切の苦しみを捨てて
進んでいくのである”
不妊に置き換えてみると、(私の解釈で申し訳ないけれどこんな感じ)
執着に染まった人は ものの見方が一つに染まってしまいます。妊娠したいという願いがある、しかし現実は生殖機能の適齢期がある。世の中すべてのことは諸行無常、生殖機能はいつまでも続くものではなく、でもその機能が自分には働いて欲しいと願う思い、それが現実との間に全然違うギャップを生み出してしまう。それが苦しみの元。妊娠が私の全てだ、と思った人は妊娠しか目に入らなくなり、自分が執着したことに自分が流されていく、これが、蜘蛛が自分で作った巣の上 そこしか歩けなくなってしまうという喩え。『一方賢者はその貪欲を断ち切り』そうすると、一つの道しか歩けなかった人が自由になって、貪欲から生まれてくる執着から生まれてくる苦しみを捨てることが出来る。
年末に少しだけ気持ち軽くなる言葉を知り、嬉しくなりましたっ、やった。
ちょっとブッダの本を読みたくなった〜
「明らめる」ちょっとずつできるといいな♪
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不妊・不育カウンセリングルームMINTBABY
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)