現代の女性は結婚してもほとんどが仕事をもっていますよね。赤ちゃんができれば、産休、育休と進み、十分ではないけれど支援はあります。その前の段階の子供を授かりたくて不妊治療をしている人への支援はどうでしょうか、30代の女性が多く働く企業では徐々に進んでいるようです。が、いつ授かるかわからないので期間が決まっていなく、どんな支援ができるか企業も頭を悩ませているといったところです。
私が治療と仕事を両立していたのは5年間。そのうち1年間は体外受精でした。
職場へのカミングアウトは?!
私の上司は男性で、「不妊治療しているので、遅刻などご迷惑かけてしまう時もあるかもしれません」とちょっと勇気を出して言ったのですが、まさかのスルーでした。これで、もう二度と言うまいと思い、新たな職場ではカミングアウトせず。しない理由として、すぐに授からなかったら嫌だな〜なんてまだ恥ずかしさもあったのです。環境もありますね。周囲に妊婦がたくさんいたので、私だけ不妊と言い出すのが嫌でした。
この5年で相当世間の目も変わりました。今ならば、きっと違う対応をお互いしたと思います。
どうやって乗り切ったか・・・
タイミングや人工授精ではなんとかごまかしていた通院も、体外受精となると無理があります。
体外受精をするとなると、採卵周期にエコーで卵胞チェックを頻繁に行います、卵の状態に合わせて注射の量を調整するので、エコーをしに病院へ行かなくてはいけません。病院は1~2時間ほど待ちます。会社のホワイトボードへ「歯医者」と書く人もいる部署でした。私も「病院」と書いてタクシーで飛んでって、注射をブスっと刺してタクシーで戻り何事もなかったかのように仕事に戻る生活。これが何日も続きます。ちょっと不自然。
採卵の日程が決まるのは卵に合わせているので2日前か前日。突然「明日お休みします」と報告することになります。そんな忙しい時期にどうして休むの???という時期でも休まなくてはいけません、2週間あまりその日のために通院してきた大事な日、仕事の大事な日と板挟みはしょっちゅうでした。留守の間、バイトを強化して穴がなるべく開かないように緊急手配をします。
私の行動は相当不自然・・・もう無理
見た目はとっても元気そうなのに病院に頻繁に行く女・・・、遅刻、早退、中抜け、突然の休み。。。普通ならば”首”かもしれません。
そして妊娠しなければ次の月も同じような綱渡りが始まります。
「そんなに体調悪いの?大丈夫」と心配してくれる方ばかりで申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
「子宮内膜症があって、婦人科で治療中・・・。月経が始まると頻繁にチェックしなくてはいけなくて・・・」と曖昧な回答をいつもしてました。嘘ではないが、本当でもない言い訳でした。とにかくは月経が始まるとすぐに行かなくてはいけない、だから突然休んだりするんです、ごめんなさいって思ってくれれば良しです。子宮内膜症というのはけっこうメジャーな病名のようで「なんとなく子宮の調子が悪いんだね」というのは理解してくれて、それ以上根掘り葉掘り聞く人はいませんでした。
カミングアウトできない気持ち
どうして私はそんなに心配してくれる同僚や上司たちに「不妊治療している」という一言が言えなかったのか、それはやっぱり普通に笑っていたかったからです。同僚の妊娠のとき、同僚が赤ちゃんをお披露目で職場に連れてきたとき、私のこと、同情の目で見られたくないから。小さいこだわりだったと思います。が、癌で他界した父から「癌であることを誰にも言わないで」と口止めされてました。ただ普通にみんなと過ごしたいからと。
そして・・・不妊退職
体外受精を5回したところ、こんな綱渡りもう迷惑かけるばかりだ、、と思い退職しました。退職理由として止むを得ずカミングアウトしましたが、上司は「そうだよね、子供欲しいもんね、今やれるなら頑張った方がいい」と応援してくれました。こんなに温かい言葉をかけてくれるならば、早めに相談すれば代替え案があったかもしれないと、今は思います。
仕事を辞めても治療がうまくいくとは限らない、それが生殖医療。周囲にヘルプを出せる時代になってきたのは事実です。子育て中のみならず、子供を授かりたい人へも柔軟に対応してくれる職場や世の中になることを願ってます。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)