乳児院を知ったきっかけは、「養子縁組は考えていないのですか?」という研究者さんからの問いかけ。
この時から私の今に至る行動、活動は始まったかもしれません。
2010年、不妊治療中の人が養子縁組についてどう考えているかという取材を受けました。
日本でできるの?赤ちゃんどこにいるの?え、乳児院?
大人なのに何も知らなかった。調べていくと養子縁組制度はあるけれど、ほとんどは乳児院で育つ赤ちゃん。その数は全国に3000人を超えている。
なぜなぜなぜ・・・?という疑問にぶつかり、この5年間、何かに突き動かされるようにシンポジウムや勉強会に参加して自分なりに答えを探してきました。
なんらかの事情で親が赤ちゃんを育てられない場合、赤ちゃんの幸せを願うならば、施設ではなく次に託してほしい。新しい家庭で育って新しい人生を他の赤ちゃんと同じようにスタートしてほしい。
施設を巣立った若者たちを支援する団体で、彼らと交流することがあります。他の若者と何も変わらない、ただ親に事情があるだけみんな良い子。だけど施設を出ると帰る場所がない。施設の子はちょっと・・・とバイトも断られる。ちょっとって・・・なに。
頼れる親が居ないというのはどれほど心細いことだろう。社会からそんな扱いを受けてる人に苦難乗り越えて頑張って生きてねなんて言えるだろうか。
・・・もっと前からサポートする必要がある。と感じる。
何も知らず無邪気に笑っている乳児院の赤ちゃんの顔を見ると、18年後のこの子を待ち受ける未来を想像してしまう。
どんなシンポジウムや勉強会でも思うんだけど、そこに聴きに来る人はすでに関心を持っていて、理解している人が多い。そこに来ない人に伝えて広めて、関心をもってもらうことが大事。
そんな時、私のもとに「乳児院のことを話てほしい」と突然依頼があり、もっと詳しく上手に話せる人が世の中いるだろうと思ったのですが、「良い年して他人任せもいい加減やめよう・・・」と腹を決めてお受けしました。
集めてきた資料をひっくりかえし・・・
人前で話すの苦手だし、できれば避けたい。しかし専門家じゃないから依頼されたのかもしれない。ごく普通のほぼ自分のことしか考えていない女性(わたしのこと)ですら心が動かされることなんだ!と、思ってくれれば良い。素人なりに伝えよう。
拙い私のプレゼンを聴いてくれた方々は、「どうして日本はそんなことになっているの?」という疑問を持ってくれて、私の役割は果たしたかなと思いました。子ども福祉の現場には全く関連のない場所で話せて良かったです。未熟なプレゼン、ご静聴ありがとうございました。
そして、公の場で私が話すのは最初でしたが、「このこともっと広めないとダメだよ!」と大きく背中を押してくれた方がいました。このプレゼンの会場も提供してくれた方です。
これからはもっともっと活動を広げていこう、伝えていこう、みんなが考えていこう
と迷いがなくなった日でした。一歩成長?!
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)