乳児院でボランティアをしようと思ったきっかけ1は養子縁組のことを調べていて乳児院のことを知ったから、「知ってしまったから何かせずには抜けられない」という単純な理由。
そしてきっかけ2は、「赤ちゃんを抱っこできない自分」を克服したい、と思ったからです。
数年前の話し、同僚が出産後に赤ちゃんお披露目で会社に来ました。
当然、「わーかわいい」と囲み取材みたいになって、「抱かせてー」と順番によくある風景、私も何度もこれを夢見てた。
そのとき居たのが6人。抱っこしなかったのは、私と男性の2人のみ、共にコナシ・・・。
なんか、寂しかったですね。かわいい〜は言いました、言ったけど手が出ない。もしも抱っこしていきなりギャン泣きされたらどうしよう、他人の赤ちゃんにまで拒否られたら立ち直れません。そして抱っこしてる人は自らの出産経験もあるので慣れていて、「思い出すわ〜」とか「産まれたてってやっぱりいいよね〜」などなど。経験談が混ざる。
最後まで手を出すことはできなかった。
友達のホームパーティに呼ばれても同じ、子連れはママたちは飲んだり食べたりしないで、赤ちゃん抱えて立ちながら話しをする。団地の外で集まっているみたいに。。
あれは座るより立って揺らしてた方がいいのかしら。
私たち夫婦だけ何かやることない。
でも、夫婦でよくこんな話しをするんですよ。どんな立派な大人になっても、例えばフレンチの食事のマナーとか綺麗にできても、着物が自分で着れるようになっても、赤ちゃんの抱っこの仕方がわからないってどうなんだろう。。と。何にもできない私の弟は子供が5人で、それはそれは抱っこもオムツも上手です。誰でもできるんです、弟でも。その辺にいるおじさんだっておばさんだって赤ちゃん抱っこできるのに、私ら、できない。わからない。
赤ちゃんを見るのがつらいから抱っこできないという感情の部分はもちろんあります、でも、半分はどうやって抱くか方法がわからないという技術面の不安。どうにか技術面だけでも克服したい。それによって赤ちゃんお披露目会での疎外感はきっと減少するはずだ。。そう願う。。
そして、赤ちゃんに接しているうち”赤ちゃん免疫”がついて、スーパーの赤ちゃんにも敏感にならずに済むというおまけも期待していた。
今、乳児院で1年以上ボラやってます。どうなったか。つづく。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)