<不妊治療>「まるでギャンブル」 高額費用つぎこむ40代
という心が苦しくなる今日のyahoo記事のタイトル。
ギャンブル・・・たしかに・・・・つぎこむ・・・たしかに・・・
いくら使ったか?あああ、考えたくない!
だけど正常な金額ではありませんよね。それは体外受精をしている人はすでに知っていることですよね。でも、、、
やっぱり「馬鹿だねそんなにお金使って」と思う前に、赤ちゃんをそれだけ授かりたい思いがあるのは汲み取ってほしい。頑張っている人に温かい目を向けてくれれば嬉しいです。
拓殖あづみ教授のコメント、とても納得しました。赤ちゃんが欲しいという個人的な理由とは別の理由が書かれています。社会で生きているから感じること。私の代弁をしてくれているような分析でしたので、ぜひ見てみてください。みなさんはどうですか?(一部紹介)
明治学院大学の柘植あづみ教授は、「不妊」そのものが身体的苦痛をもたらすのではなく、「文化的・社会的な理由で人々は不妊に苦しむ」と指摘しています。
今の日本社会には、ある程度の年齢になったら結婚し、夫、妻、子ども2人という標準的な家族を持つことが「当然である」という見方があります。この「普通の」モデルから外れると、周囲から疎外されたり、圧力をかけられたりします。人によっては、「不妊」という負の烙印(らくいん)を押され、自己評価の低下や、男や女としてのアイデンティティーに悩まされます。その解決策の一つとして不妊治療を選択するのです。
負の烙印、自己評価の低下、これは私も非常に感じてました。置いていかれる、取り残されている、どうして私だけダメなの。社会からの圧力としては、「子育てしてない人は一人前ではない」という言葉に深く傷ついてました。
体外受精3回連続失敗したときがピーク。長く生きていたくないとさえ思いました。目がさめるとまた子供のいない日が始まる、また責められる、と考えるほど。相当追い詰められていたと振り返ります。
人の評価には子供の有無は全く関係ない、無関係であると不妊心理を学び、不妊当事者たちとの交流からも自ら体感し、自分に何度も言い聞かせ、いまでは人の言葉で1日がブルーになったり心が苦しくなることはなくなりました。
周囲からの言葉は相変わらずあります。そんなときは、
「子育てしていない人は一人前ではない」という人には、自分の価値観を押し付ける人
「子供はまだか?」とせっつく人は、生殖分野の知識が低い人
「どうして子供産まないの?」としつこい人は、相手の見えない部分を想像する力が欠けている人
冷静に判断できるようになりました。
このお花畑にはまだ達してませんけれど、自分の生殖機能の低下を純粋に認めれるようになり、もうこの金額をかけて不妊治療を続けるのは私の体にはコスパが悪すぎる、ここ数年思い始めています。
自分のことだけに目を向けれるようになりました。
授からない人もこの後の人生は長く続きます。どんな風に不妊治療から離れるか、、、、それは大きく影響するのではないかな。
ひとりではしんどい。誰かに助けを求めることは弱いことではなく、よりよい未来のためです。
みんなで語りましょう。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)