ニュースや他人のブログなどで日本の子育てはしにくい環境ということは知っていましたが、あるママとの出来事を書きます。去年の秋・・・
11月吉日夕方、私は子ども支援ボランティアの仲間とともに歩いていました。私たち団体が主催する講座に向かう途中。
国道の横断歩道から推定3歳男児がスタタタと走ってきて、歩道にいた見知らぬ人たちが「あれ、ママは?」というちょっと気にする顔。その先の横断歩道に大きなママチャリを止め、ママ(推定20代後半、もっと若いかな)がすぐに追いかけてきた「待ってーー、こっちきてーー」というような、呼び声。3歳児はイヤイヤ期というなんでもイヤがり言った通りにしない恐ろしい時期らしい。
誰かが男児を止めて無事にママに返却、自転車の前の席に乗せる。横断歩道の信号が赤から青、さて自転車を走らせると、飛び降りまた男児は先ほどと同じ方向に逃げた。
なるほど、自転車から脱走してたのね。
で、その国道の横断歩道、片道3車線に右折と左折車線を合わせて8車線!車も非常に多いです。渡ってる途中で自転車から飛び降りると危ない。
交通整備の警察官が木刀を持って横断歩道の脇に立っていました、びくともしないので人形かと思ったんだけど、人間でした。信号無視とかそういうの取り締まる係のようです。
バスの中で泣き叫ぶ赤ちゃんや、スーパーでこれ買って攻撃をしてる子に、うるさいとは思わない。でも「大変だな〜」と思う。この時も「大変だな〜」と心の中で思った。で、いつものように通り過ぎようとしたら。。
私の仲間(60代)が「どうしたの?」ってママに声かけたんです。
「自転車押してあげるわ」って!
ママは「え、あ、すみません。」と言い、ママはその子と手をつなぎ、仲間は自転車を押し、私はついていくという役立たずですが我々は無事にその横断歩道を渡れました。聞くと、ママは同じ状況で5回横断歩道を渡れずに見送っていたそうです。警察官もそこにいるなら・・・手伝ってくれればいいのに。
「何歳?」「一番大変な時よね」「あともうちょっとよ」と仲間が話しかけながら歩いていたら、
そのママが急に号泣してしまいまして・・・
子育てってこんな!?「大変よね〜」の言葉ひとつもかけてもらえないの?
不妊治療もさ・・・「がんばってるよね」とか優しい言葉かけられると急にじーんとしちゃう。でも、不妊治療への理解は経験しないとなかなか難しいけれど、子育てって誰が見ても楽ではないでしょう。ママの周囲にいる人たちは「ママありがとう」とか「大変よね」とか言ってないの?言われないの?横断歩道が渡れないほど大変なのに。
子育て支援とか制度とか必要だと思う。でも、もっと必要なのは、
そこに歩いている街の人の「どうしたの?」「手伝いますか?」の意識
私を含め、気にはなったけれど何もせずに通り過ぎてしまう人がもしも足を止めたり、暖かい言葉をかけていれば、その小さいことがつながって、孤独な育児は少なくなるのではないか。
あたりは夕暮れ、若いママが仕事を切り上げ保育園に迎えに行き、そしてこれから食事を食べさせなければいけない。このママはとても珍しいケースではなく、ごく一般的な家族スタイルだと思う。それでもこんな涙がこみ上げて来るほど泣いてしまうくらい辛い。たかが横断歩道が渡れなく、あの場で何度も同じことを繰り返していた、心細かっただろうし、もう嫌になってしまうよね。イライラは積み重なり、育児鬱や、児童虐待とかあらぬ方向に陥りやすい可能性が誰にでもあると痛感しました。
結局私たちは家まで送って行きました。
その後、虐待ルポライター杉山春さんを講師に迎え子供支援の講座を開催。
幼い子の虐待死事件を追い、その念密な取材がいくつか出版されています。どうにか救うことはできなかったのか・・・本の内容は常に読者に問いかけています。
講座の中で杉山さんは、「あれ変だな?とおかしな点があったら、ひとりでは声はかけにくい、行動できない。でも2人ならできますよね。」といったのです。まさに・・・今さっきの私のことだった。(見てたの?!杉山さん!!)
私ひとりならあのママと関わりはなかった。
なぜ声をかけないか・・・それは、あやしい人物と思われるかもしれないし、「あ、大丈夫です」と断られたら恥ずかしいし、こっちも子連れだったら話しかけれるけれど子育て経験ないから躊躇した、などのくだらない言い訳が浮かびます。実際、声をかけた仲間の60代女性は3人の子育てを経たベテラン。だから私とは違うと思ってしまう。
だけど・・・だけど!手伝ったのは自転車を押すというそれは確実に私にもできる作業でした。
そして杉山さんは続けて「その時2人で行動できれば、今度はひとりでもできるようになる」と。
声かけする人が2倍になるんですね〜、今度、困っているママがいたら、話しかけれそうな気がする。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)