お友達と久しぶりの再開をしました。最後に会ったのは約3年前、死産する数日前、私は妊娠7ヶ月でした。ご飯を一緒に食べ、産まれた後の話しや、性別がどっちなのか、不妊治療をしていることを知っていた彼女は私の妊娠を喜んでくれました。笑って話しをしてたことが鮮明に蘇ります。
死産してから、なんとなく連絡がとりにくく、疎遠になってしまい、、、特に直前に会っていたことと、彼女の性格上、とっても心配しているだろう。。。と思ってました。
そして、時間が経ってしまい、もっともっと連絡しにくくなってしまった。
レストランに先に到着して待っていると向こうから歩いて来た彼女は変わらず明るい印象、うわー懐かしいね!とお互い声をかけ、席についた彼女が突然泣き出しました、、、「会えて嬉しくて・・・ごめんね、本当に。何も連絡できなくて。。。」と。「何で泣くのよぉ〜」と言いながら私も泣いてしまい。
彼女は「あれから何度もメールを書いたんだけど、何と言って良いかわからなくて、送れなくて。でも、一言でもいいから言葉をかければ良かった、なんで何もできなかったんだろう、と事あるごとに思い出してた。。こんな泣くはずではなかった、明るく今日は終わるはずだったのに」と泣きながら言いました。私も涙が止まりません。
注文を取りに来たスタッフが引き返して行き、レストランの周囲の人も何事か・・・!と思ったことでしょう。戦争で生き別れた姉妹の再開だと思われたかな、と言ってみたり。ひとしきり泣いた後には以前と変わらず他愛のない話しをして笑って美味しいご飯を食べて。
子どもへお花もいただき。ありがとう。
当時から彼女の想いはわかってました。何と言って良いかわからない、本当にそうだと思います。仲が良ければ尚更、こんな時、どうしたらいいのかわからない。連絡はし難いということは理解できていました。だからそんなこと、気にしなくてもいいのに。
死産した方は突然の出来事で大変です、でも周囲も突然のことでどうして良いかわからないのが正直なところでしょう。支えてあげたい、言葉をかけたい、でもなにができる?躊躇する気持ち、とってもわかります。死産した人へアンケートをとったところ「周囲の人(家族・友達・同僚)が死産に触れてくれなくて、まるで無かったかのように他の話題をされてさみしく思った」という意見が多くあります。私もそう感じたことがありました。でも決して忘れているわけではなく、きっとどうしたらよいかわからないだけだと思います。今回は彼女が不覚にも泣いたと言っていましたが、そのお陰でお互い伝えられなかった気持ちが言えた。食事の前にそのことに触れることができて、重い何かがストンと抜けていくのを感じました。死産のことに触れずに食事を始めていたら少し不自然だったかもしれません。彼女のキャラクターに助けられたかな。
今回のことでわかったのは、まだまだ私は泣ける、ということ。もうすぐ3年経ちます。普通に生活しているけれど、心の奥にはいつもあの出来事があって、呼び起こされたらいつでも感情は湧き出て来る。悲しい涙ではなく、嬉しい涙ではあるけど、久々に泣きました。
彼女との付き合いは今年で10年。これからもずっとこの関係が続けばいいな。thanks!
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)