少し前ですが、精子提供AIDのセミナーに参加してきました。
*AID (, 非配偶者間人工授精)
内容は「出自を知る権利と告知」、「日本におけるAIDの現状」
とても勉強になりましたが、いつも感じるのは、日本は子供の権利が全く尊重されていない、欧米に比べて20年30年遅れているということ。AIDに限らず、養子縁組も、施設の子もです。弱い立場、選挙権が無い子供たちのことは後回しの国、大人として恥ずかしいです。
私なりの第三者の関わる生殖医療について書いてみます。
日本では最近卵子提供や代理出産のワードが飛び交ってますが、AID(精子提供)の歴史は古く、1948年が最初です。60年以上も前から慶応義塾大学病院で行われていることです。
精子も卵子も重みは同じなのに、AIDのハードルはとてつもなく低いですね。
「子供が欲しい」「医療の手を借りる」、そこまでのお気持ちはもちろんわかります。私もそうですから。しかし第三者が関わる生殖医療の分野では、妻・夫以外の「誰か」が関わるので、産まれる子供の立場をよく考えることが必要だと私は思います。
一昔前は、「子どもに告知しなければ良い」「ばれない」という風習があったそうで、医師ですらそんなことを勧めていたそうです。産まれた子が不安定になってしまうこと、誰も考えなかったのかな。一生墓場まで持っていくとはいえ、医学の進歩は計り知れなく、一般人も簡単にDNA鑑定ができる時代になりました。これから先もどんな進歩があるかわかりません。「告知しなければいい」なんて考えは捨てましょう。告知できないなら、第三者の関わる生殖医療をしないでください。
なぜ私がそこまで言うかというと、、数年前にAID施術によって産まれた女性の話を聞きました。当事者の話は尊重すべきです。不妊もそうですね、不妊当事者の感情はその立場にならなければ想像できなかったはずです。
彼女は告知されることなく育ち、突然、父が「実の父」ではないとやむを得ない状況で打ち明けられ、家族バラバラになってしまった。
父親の顔を思い浮かべようとすると「精子」が浮かぶ、と衝撃的なことを語ってくれました。顔がぼやけている、ぼんやり男性がたっている、などではなく「精子」なんです。当事者の苦痛は想像以上でした。
子供に秘密を抱えていると、家庭内の雰囲気が違うそうです。AIDをしたカップルはめでたく子供が産まれても「パパにあんまり似ていないね〜」などという何気ない周囲の言葉に傷つき、愛せると確信していたはずなのに、悩み苦しみ、離婚を選択するケースも少なくないんです。
本当は、そんなはずじゃなかった。子供が欲しくて、家族が作りたくて、暖かい家庭を描いていたはず。病院へ相談するとAIDを勧められ、周囲に黙っていれば問題ない、と言われ施術。
現在でも年間100人の子供が産まれています。その子たちは実の父親に会うことはできません。なぜなら精子提供者が匿名だからです。
なぜ匿名なのでしょう。そんな無責任な。人間をひとり作るのに、どこかで自分の子供が産まれているのに、、、。なぞです。日本に限らず実の父を何年も探し求めている当事者団体があります。。苦しんでいる人がいるのになぜ施術は止められないのでしょう。
なぞです(2回目)。
名前を明確にする人だけ精子提供を受け入れれば良いのに。
NHKの番組で、インターネットで精子提供をしている明らかに怪しい男性を取材してました。消毒されてるか不明な簡易的なカップに精子を入れて、一度も会ったこと無い人から道ばたで精子をもらい金を払う。その男性は驚くことに「善意でしている」と訴えてました。真面目な顔してそんなこと言ってる?産まれる子供のためになると真剣に言ってる?
そこのサイトにアクセスする女性も、モラルが低すぎます。遺伝上の病気や、今その人が持っている病気、薬の利用歴も曖昧です。今後、安易なネット売買で産まれた子が増えてしまうのかと思うと、将来が不安です。
では、男性不妊がわかり、AIDを医師にすすめられたらどうしたらいいでしょう。
AIDによって生まれた当事者団体はこれからAIDをしようか迷っている方向けの勉強会をしています。施術する前に一度参加して「子供側」の意見を聞いてから判断しても遅くはないと思います。卵子提供も同じですね。
子供が会いたいと言えば、遺伝上の親に会える環境かどうか。子供は「育ての親が父だよ」と言ってもそんなことは頭ではわかっています、きっと感謝もしています。でも遺伝上の父を知りたい感情は当然の思いです。それが子供の出自を知る権利です。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)