死産という我が家の出来事

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20110517200357死産という出来事は私の心から無くなることはありません、忘れることも無いのだろうと思います。あの子のことを思うと、幸せだった妊娠期と、医師にお腹の中で亡くなっていると告げられたあの日の事が同時に蘇り、あの日に引き戻される日々が長く続きました。思い出さなければ楽に生活ができるかもしれない、だけどあの子のことは忘れたくない、色んな気持ちが混ざり合っていました。

身体的につらかったのは、ホルモンの変化で産後母乳が出た事や髪の毛が抜けたこと、赤ちゃんが目の前にいないのに、体は赤ちゃんのために働いていたことが虚しかった。産後3ヶ月は浮き沈みが激しかったことを思い出します。今日は少し笑っても、次の日は涙が止まらなかったり。

周囲はとても親身になってくれました。ただ、言葉で表すのは難しいけど、死産した人への対応として「しばらくはそっとしておこう」という昔からの風習があることを知りました。死産した子どものことは聞かない、話さない、思い出させちゃダメ、早く忘れた方がいい・・・そんな風に周りが気を使っていたように感じました。子どもの名前や付けた漢字の由来、出産したら当たり前のように報告する体重や性別、陣痛のことも誰も聞いてくれなくて、子どもを産んだ経験のある私の母でさえ、やはり気持ちを理解してくれることはありませんでした。妊娠してた事も出産した事も無かったかのようにされると、我が子の存在も消えてしまいそうで、それがとっても寂しかった。逆の立場なら私もそうしてたでしょう、何て声をかけて良いかわからない、ただそれだけのことだと思います。

私の子どもを忘れないで欲しい、名前や性別を聞いて欲しい、そんな衝動にかられた時期がありました。そんな時「お子さんの名前聞いても良い?」「素敵な名前ね」と言ってくれたごくわずかな人に私は救われました。皆に伝えなくてもいい、私たち夫婦がしっかりとあの子のことを忘れないでいればそれでいいんだ・・・と思えるように気持ちは変化していきました。
支えてくれた大切な人たちに気づいたのも、悲しみを乗り越えるために夫婦で力を合わせたことも、すべてあの子の仕業なのかと振り返ることがあります。そして、いつか私が天国に逝ったときにはやっとあの子を抱ける、、その時が楽しみでもあります。

 

死産した人にこのメッセージが届きますように。

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