血のつながりのない赤ちゃんを育てることについて書いてみます。
難しいけれど、私なりの気持ちの変化を書きます。
今も不安はゼロではありません。
育児がちゃんとできるか
血のつながりがない子を愛せるのか
我が子へのこだわりは消えるのか・・・などなどグルグルと考えて考えて・・・
ベテラン里親さんに「始めちゃえばいいのよ!」と背中を叩かれ勇気が出たり、友達には養子縁組を考えていると話すと「えーーそこまでして?!」と驚かれ、また尻込みしたり。一歩も進まないどっちつかずで日々は過ぎています。
「不妊カップルに赤ちゃんを与えるものではありません」
これは養親を希望する人に確認のためによく言われる言葉です。
特別養子縁組は子供の福祉のためのもの。当然だと思います。理解しています、納得しています。でもやはり悩みました。
その後、乳児院で抱っこ(ミルク)ボランティアをして、気持ちが変わっていきました。
私たちが普段会う赤ちゃんは、友達や親戚の子ですよね。親の愛情をたっぷり受けて手を伸ばせば母がそこにいて、抱っこされる赤ちゃん。愛されている赤ちゃん。その親子の関係から”子供の福祉”を想像するのは難しいかもしれません。乳児院の赤ちゃんは、ひとりで泣いて、ひとりでミルクを飲んで、手を伸ばしても誰もいないんです。1日のほとんどをベビーベッドから天井を見て・・・過ごしている。
実際にその状況を見ると、どんな人でも心が揺さぶられて「この状況をなんとかしないといけない!」という気持ちになると思います。衝動的に。
結果的にその経験が子供の福祉を願うことにつながっていました。
自分が今、暖かい清潔な場所に住んでいて、ご飯を作る余裕があるなら、事情があって育てられない親の代わりに大人が育てていかなければいけないんだ・・・
養子縁組でも里親でも。
ヘネシー澄子さんの本や、国連が指摘していますが、乳児院の中での集団養育は愛着障害を引き起こす可能性があります。ボランティアを初めて「施設」と「家庭」は別のものとすぐに気付きました。施設が不必要とは言っていません。しかし施設が「家庭に近い環境」を目指すのは無理であると感じました。
ボランティアが100人いても赤ちゃんは幸せにはならない、解決にはならないと私は伝えてます。決まった養育者との愛着が乳幼児には大切、課題ということは、文部科学省のHPにも書いています。
乳児院には福祉大学の学生が研修で訪れることはあっても、一般の人が出入りすることはなく、普段の生活の中で乳児院を話題にする人はほとんどいません。
でも・・・日本の子供のことなんだよ、日本の未来のことなんだよ。
「乳児院になぜ赤ちゃんがいるのか?」から疑問をもってそれぞれが考えてくれれば何かが変わると信じてます。
義務教育では良い性教育の題材にもなると思うんだけどな・・・
ただ、人手不足は間違いありません。乳児院のスタッフさんもてんてこまいです。暖かい家庭で育って欲しいと誰よりも間近で見ていて願っているでしょう。成長する姿を見て、きっとこの姿をスタッフではなく、親(実母・里親・養親)が見て欲しいともどかしい気持ちを持っているかもしれません。
乳児院のボランティアの募集はどこでしているの?とよく聞かれます。場所は秘密になっていて、赤ちゃんの名前は口外しない、背景は詮索しないというお約束があります。個人でボラを探しても良いですが、抱っこボラを募集している団体がありますので下記に記載します。
もし赤ちゃんのために何かしたいと考えている方がいましたら、問い合わせしてみてください(子供と安定した関係を築くため、短期間ではなく最低1年は続けられる方が基本です)
・一般社団法人ぐるーん(抱っこサポーター募集中)
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)