あけましておめでとうございます。(写真は、夫婦ふたりキャンプ場で拝んだ日の出です)
我が家の年賀状
1月1日 4枚
1月2日 3枚
1月3日 ゼロ!!!!笑
ついに我が家の郵便ポストはゼロになりました。いいんです、いいんです。
私がご挨拶したいなと思った人にだけこれから送り、新しく築いていくのです。
諸行無常ーー世の中の全てのものは移り変わっていく
2016年はブッダのありがたいお言葉でスタートです。
私も、私の周囲もどんどん変わる、不動のものはこの世にないっことです。
「執着」を捨てろとブッダは言ってます。
執着とは物の見方がひとつになり、物事に囚われること。執着することで選択肢を狭めてしまう。それゆえに自分の引いた道の上で苦しむこと。クモが自分の作ったクモの糸の上を進んでいくようなもの・・・。
今私の頭の中で「執着」していることというと、間違いなく「赤ちゃん」です。だって、赤ちゃんが欲しいためにがんばっているのだから。これを執着、悪いことと言われると困っちゃうのですが、冷静に妊娠適齢期を考えると、完全に執着の域に達しているでしょう。
わかりやすい例がテレビで紹介されてました。(真理のことばNHK)
旅人が立派な大きなイカダを作って川を渡った。
川を渡ったらイカダの用事は終わり。だけどせっかく作った、どうしよう。
持っていく?置いていく?
誰かは頭の上に乗せ、雨をしのげるので持っていくと答えます。だけどイカダは重くて大きいので体力消耗して旅人が倒れたら本末転倒、そもそもの目的はイカダを大切に所有することではなく、向こうの町に行くこと。
ブッダの言葉を自分なりに当てはめて考えてみると、
私たちのそもそもの目的は、「夫婦で仲良く暮らす」というものだったはず。
子供がいればもっと楽しいかもしれない。でも子供を持つためにつらい治療を続け、予想以上にお金を使ってしまい、不妊治療で強いストレスを抱え喧嘩が続くと、「夫婦で仲良く暮らす」が出来なくなってしまうのは本末転倒だよね。というもの。旅行にでかけても「次の治療どうするー?」というネタが定番となり、純粋に旅行を楽しむことができなくなっていた。。
生殖医療は続けていれば子供が授かるという保証はない。執着は危険な分野なのです・・・・
そして!!!今年はいろんな執着を手放そう!と思います。
まずは、大掃除に見つかった懐かしい品々たちを捨てました。
毎日頑張ってた自己注射キット
いつかまた使うと思ってとっといた妊婦の証マーク
夫に無理やり飲ませてた亜鉛(いつの!)
日記の中から見つかった基礎体温表(2007年らしい)。仕事との両立でやりくりしてたことがうかがわれる。鍼やヨガもやっていた・・・涙
がんばってたな〜〜〜さようなら、ありがとう。
お疲れ様という気持ちを込めて手放していこう、少しずつ諸行無常を受け入れて。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)