不妊治療を始めると、タイミングから始めた人は、人工授精、そして体外受精とステップアップするわけですが、体外受精を始めた時、「ついに、ここまで来たか・・・」「まさか私たち夫婦が体外受精をするとは」と話ししたこと覚えてます。
体外受精というと、すごい医学的な、手の届かない分野のようなものに感じていました。。。無知だったんですけど。・・・今では赤ちゃんの23人にひとりは体外受精で授かってます。
病院からの体外受精説明会があり、たくさんの夫婦が熱心に聞いてました。病院側からはスケジュールや薬剤のことが丁寧に話しがありました。
どれだけお金がかかるのか、をとても気にしてました。1回40万くらいなのですから当然ですよね。
しかし、体外受精で受ける精神的負担の部分は、深く考えていませんでした。治療への期待が先にあり、早く周期を始めたいと思いました。赤ちゃんがやっとやってくると思ったんです。
3回陰性だったとき、その気持ちは消え、不安の方が強くなりました。精神的負担のフォローは夫婦でどうにかしなくてはいけない。自分と夫でやっていくしかないんだな、ということを相当後で気づきました。
麻酔をして採卵、怖い、不安。受精できるのか、分割の具合、移植後の期待、そして判定日。短期間に気持ちのアップダウンがあり、振り回される日々。
ケアは夫婦に任されているとはいえ、私は治療をしている身なので、夫に支えてもらうしかないんです。そこは、本当に話しをしなかった。どれだけつらい気持ちになるのかも、きっと私から夫に伝えてなかったと思います。ま、「死にたい」は言ってましたけど。「死」って言葉はいまの時代、重いのか軽いのか曖昧な部分ありますよね。まさか死ぬとは思わないだろうし、学生のいじめでも簡単に「しね」って言葉使うし。とにかくかなり参っていました。
ほとんど友人には相談してなく、私の世界はインターネットの中にあり、不妊掲示板を日々見て孤独感を紛らわせたり、ブログに自分の思いを綴ってました。同じように悩んでいる人たちからたくさんのコメントもらったり、共感してもらったり、ネットの自分はつらいつらいつらいと吐いているのに、リアルの自分は淡々と仕事をして、子供なんて望んでいないのよという顔をしていた。二重生活してるようでした。
ある時気が向いて、病院の患者会に参加。リアルの顔の見える人同士で話しをしました。話しまくりの2時間。会の後も駅のカフェで話しをしました。明らかに何かが弾けて、いままでの誰にも言えなかったことが開花された時でした。
「みんな同じように悩んでるんだ。」「私だけじゃない」「変じゃない」と知ったんです。知ったというか、体感することって大事。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)