私のカウンセリング以外の活動のひとつに、医療従事者(看護者)との交流があります。それは病院主催の勉強会や、ペリネイタルロス研究プログラムです。ペリネイタルロス・・・というと聞きなれない言葉かもしれません。周産期の子供の死亡のことで死産、新生児死を言います。
医療者も戸惑っている
5年前に初めてのゲストスピーカーとしてお話した際、人前でも大丈夫だと思っていたのに号泣・・・。まともに話せずお役に立てなかったと思います。しかし、今はカウンセラーとなり、自分を見つめることも十分してきました。流産、死産などで赤ちゃんを失う人の一番最初に関わるのは医療者です。クライエントさんからは二次被害の話をたくさん聞いてきました。医療者も手探りで、戸惑いがあると思います。しかし退院してしまえば関わりは終了。病院へのフィードバックがありません。
こちらの看護者向け研修は正しい”赤ちゃんの死”のグリーフの知識を学べる唯一のものだと思います。二次被害で傷付いた人のケアはもちろん私たちの仕事だけど、同じような二次被害をもう出さない活動も同時に行うことが必要で、それには教育なんですけれど、いかんせん赤ちゃんを失った当事者は今自分のことで精一杯な状況ですので、その声をひろい、声をまとめて伝える人が必要なんですね。もちろん当事者が発言してくれるとよりリアルに感じてくれます。
今いろんな悲しい事件ありますけど、どんなことも批判だけでは終わらせてはいけないんです。改善できることをひとり一つでもしていけばこうやって形になります。
長年研修を実施している聖路加国際大学ペリネイタルロス研究会の尽力に感謝します。
今回の研修は基礎よりさらに上、スキルトレーニングコースでした。
嬉しかったこと、悲しかったこと
昨年度は計3回、再びお話させていただきました。5人〜6人のグループの輪に入り、1時間ほどのワークショップスタイル。号泣せずリベンジはできた。
死産を対応した参加者さんは「あの時の対応は良かったのだろうか」「どんな対応が望ましいんだろう」「患者さんは今どうしているのか」と心を寄せる中、答えを得ることなくお仕事をされています。入院中どんな心境なのか何を望んでいるのか、それはその人によって違うけれど、私が相談室でグリーフケアをして5年。自分の経験はもちろんですが、当事者のみなさんから聴いたことも声にしています。それが役割だと思うので。
嬉しかったことは、(医療者向けなので病院内のことだけに絞って話してます)
亡くなっている赤ちゃんをできるだけ他の赤ちゃんと同じように扱ってくれたこと
コールしてないのに気にして病室に訪れ、ただただ話を聴いてくれたこと
夫婦と赤ちゃんが対面できるような空気を作ってくれたこと(対面するのは怖い思いもあったので)
総じて自分のことより赤ちゃんを大切にしてくれると嬉しかったです。この時は、自分の身体のことなんてもうどうでもいいと思ってたので。
悲しかったのは
死産がわかったあと担当医師が無言で目を合わさず、処置の説明にすぐ入った。たった一言でも今回は残念でしたなど赤ちゃんの死について触れてほしかった。処置というのもお産のことだと後でわかったけど、その言い方が物みたいに感じたこと。
お産直後に誰も何も言わず分娩室がシーーーン・・・となり、声を誰もかけてくれなかったこと。
退院後に胸が腫れてアイスノンで冷やしてもどうにもならなく病院に電話をしたところ「死産の人はちょっと・・・」と対応ができないと言われた。
オールマイティの対応はない
お産直後に「おめでとう」と言う助産師さんがいると聞いたことがあるんだけど、「他の赤ちゃんと同じように扱って欲しい」とは思うけれど、おめでたくないし、「おめでとう」は私が言われたら違和感があります。
じゃあなんて言えば良いか・・?
「辛かったね」も代弁しているかのようだし、辛いかどうかは聞いてないからわからない。お産が「辛い」になってしまう。正解はないし、この言葉を言えば万事オッケーというのはない。ただ、陣痛はとても大変だったので、「頑張りましたね」と言われれば私はしっくりきます。無理に何か言おうとせず、肩を撫でてくれたり、泣いているそばにきてさすってくれただけで私は気持ちが落ち着きました。そういうノンバーバルコミュニケーション(非言語)もあります。
マニュアルはなく、その目の前の人を見ること聴くことに尽きると思います。
私の20分スピーチのあとにひとりひとりと1問1答の時間があり、質問の内容から真剣さが伝わります。私よりも泣いてしまう方もいて、今までに関わってきた患者さんを思い出している様子、真摯に向き合っているんだな、と感じました。
医療者の影響力を感じて
私は死産した時に寄り添ってくれた助産師さん、看護師さんに感謝しています。たった3日間だからその後も心配、継続的にケアしたいと医療者側は思うかもしれないけれど、この短い数日は鮮明に覚えているし、フラッシュバックして思い出そうと思わなくても数年は蘇って苦しかった。その期間に関われるのはみなさんだけです。みなさんの役割があり、その影響力は大きい。退院後よりこの期間にできることを考えください。あの時寄り添ってくれた医療者のことは一生忘れることがなく、死ぬ時まで感謝すると伝えました。もちろん嫌な思いをすれば逆の意味で忘れられない深い傷となります。
(交流を終えた受講生からの感想をもらいました)
プログラムは集中的に行われ、全国から志高く仕事に就いている方が見えていました。このプログラムが終了し、各病院に戻ったとき、死産当事者の支えになってくれるでしょう!
引き続き今年度も協力することが決まりましたので、精一杯私も当時の気持ちを伝えていきたいと思います。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)