東大名誉教授ロバートキャンベルさんが20年連れ添っている同性パートナーと同性婚をしていることを公表し、杉田議員の話題のLGBTの記事について批判しました。
「自分のセクシュアリティをわざわざ知らない人にまで伝える必要ないじゃん、と僕のブログを見て書き込んでいる人も結構いるようですが、実は僕も長い間、同じように思っていました。
伝えるきっかけについて、朝日新聞二階堂記者のインタビューの中で少し詳しく語りましたので、関心のある方は是非ご一読ください」さて昨日、「公言」以来初めて近所を歩きました。
隣人がゴミ当番で落ち葉を掃いていたから軽く手伝って駅前まで足を伸ばしお買い物。ジムに入って90分ほど汗を流してシャワーを浴びてからゆっくりと自宅まで帰ってきました。で、何も、起こりませんでした。
出迎える猫いわく「当たり前だわ」(笑)。
最後クスっと笑える感じにしている余裕が良いですよね。キャンベルさんのLGBTの意見は記事を読んでもらうとして、
私がピアカウンセラーで活動をするにあたり、自分の体験を公表するのかしないのかは悩みました。すでに親しい友人には打ち明けていましたので、ここでの公表は「不特定多数の世間にオープンにする」という意味で使っていきますね。
人を救いたいという気持ちがあっても、自分の知らない人にまでネットなどでその体験をさらけ出すのはどうなのかな・・・と。そして実際今、不妊、流産、死産という過去の体験をほぼ公表し活動しています。なぜかというと、自分が苦しい時、同じ経験をしている人になら相談しやかったからです。公表している理由はクライエントさんが相談しやすいため、そこが原点です。
キャンベルさんに、「あえて公表しなくても」・・・という意見があったようです。うん、そういう疑問を抱くことはわかります。
公表する必要があるか、ないか・・・
他人に広く公表しなくても良いことってありますよね。まさに不妊とか、赤ちゃんを亡くした経験やLGBTもむやみやたらに言いたくない。
だけど、そのままにしておけない誤解や「良かれと思って発言」は世の中にたくさんあって、それで傷ついたりする人がいるから、当事者としての気持ちを発信するために当事者であると明かす必要があります。誰かが言っていたではなく、誰かの代弁ではなく、自分の意見で発信することに意味があります。
人はあえて公表しなくても良いことを多少は持ってると思います。
私も、いままでいろんな場面に出会いその都度考えてきました。隠すのも変だし、わざわざ言うのも違うし…だけど、性のことは日常で会話にあがるでしょ。彼女いないの?結婚しないの?子供はどうして作らないの?と。その都度ごまかすのも不自然で居心地が悪いんです。
不妊治療してた、出産したけど死産だった、子宮摘出した、ここなら言ってもいいかなと思った仲間には話してきました。そうすると自分の周りは受け入れてくれる人が増えて生きやすくなりますよね。それで生きづらさが減ればあえて知らない人たちに公にする必要は無いと思います。
だから答えは公表する必要がなければしなくて良い、です。
逆に言うと、公表する必要があるからしている・・・w
発言できるポジションにいるなら、自分がもう困ってなくても伝えていく別の役割があると思うんです。私にとってはカウンセリング以外の大学授業とか体験を取材されるとか…当事者として気持ちを発信することです。自分がしなくても他の人がすればいい、と以前は思ってましたが、他の人って誰ですか。そもそもマイノリティで言いづらい、発信する人が少ないから冒頭で述べた誤解や「良かれと思って発言」が生じています。
妊活する人や不妊治療をしている人がそのことをオープンに言えるようになりましたが、不妊のつらさを語れる状況ではないでしょう。そのことを渦中にいる人や、赤ちゃんを失った人は身分を明かして大勢の前で発信することはできません。自分が生きることで精一杯なんです。まずはセルフケア。私もそうでした。
公表して発信することのメリットは、当事者に共感してもらうことだけではない、もっと大きな目的は、「当事者以外に知ってもらうこと」です。社会は当事者だけでは成り立ちません。当事者の周りにいるひとりに伝わってくれれば、良き理解者になって救いの手を差し伸べてくれるかもしれません。ゆくゆくは今困ってる当事者と未来の当事者のためになると思っています。
最近はそんな仕事も増えましたので、キャンベルさんの公表をきっかけに「私の公表」について改めて書いてみました。
おしまい
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)