総合病院の婦人科でAIHをしたものの、あまり設備も整っていいなかったため、元の不妊専門クリニックへ戻り、
ここでAIHで授かった子を死産した経緯を話し、再び通院することになりました。
「そうですか・・・できることをしましょう」と院長。
まず治療再開のためにAMH検査をふたたびすることに。
前回の検査(2010.6)での数値は10.4、推定40歳。(そのときの記事→こちら)
35歳の私の実年齢を5歳もオーバーしててかなりショックを受けたことを思い出します。
しかし・・・・今回は(2012.2月)そんなもんじゃない、そんなどころの話しじゃなくなってました。
もう、「1」すらない、「0.9」でした。推定年齢は「45OVER」の欄、一番下です。OVERだから45かもしれないし、50かもしれないし、とにかく最低レベル。それより下は無かった。
2年でこんなになっちゃうの。。。
はぁー・・・言葉ではなかなか表現できない気持ち。
やっぱりあの子を妊娠したのが最後のチャンスだったのかな
って思っちゃうよね。
ま、当たり前ですが、治療できる時間は限られてるということで、IVFをすることになりました。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)