「朝からお浣腸をいたします。超スッキリしますよ」と看護師さん。
「お、浣腸」というのね。お味噌汁とかお湯とかお水みたいに。なるほどー。
で、超スッキリ!ではなく「腸スッキリ」のことでした。よく考えるとだよね。
夫は手術のことよりも浣腸のことが気になるようで「わー、浣腸するの!するの!」となぜか喜びながら私を脅してました。小学生か!
子宮ではなく浣腸の記事になりそうなので話を戻して…
手術の時間は前日に決まり、13:00開始。二番目。だいたい2時間くらいの予定。
実際に手術室に移動したのは13:45でした。
なんと遠くから義母が付き添いに来てくれてとても助かりました。かつては私たち夫婦の孫を望んでた時期もあったと思います。今回手術をすると伝えたところ大変驚いていて、「いつなの?手術の日に行くよ」とすぐに言ってくれて、都心が苦手なのにわざわざありがたいです。
平日なので夫は会社と病院を行き来する感じで、手術中はいませんでした。もしも何かあった場合は家族にいてもらう方が病院としても安心なわけです。
手術始まりには不安を取り除くためにスタッフさんたちが明るく気さくに話しかけてくれました。そしてあっという間に麻酔で眠りにつく。
体外受精の採卵で静脈全身麻酔は何度も経験ありですが、やっぱりその何倍も強く瞬足ポックリでした。
そして…
名前を呼んでいる、誰かが名前を呼んでいる
目を開けるとスタッフ勢揃いで私を覗き込んでました。かなり目覚めなかったようです。
あー良かったーっと安堵してました。
そしてすぐに激痛!
月経痛マックス時と同じで、痛みレベル10のうち10と答えました。麻酔が完全に覚め切らない私が痛い痛い痛いーと連呼してるので痛み止めの点滴をしてくれてるんですが、すでにリミットいっぱいまでしてるため、このまま効くまでしばし我慢と言われる。
うつらうつらしながら病室へ。時間は17:00
夫と義母が待っていた。
「頑張ったねー頑張ったねー」と義母。
こういう時、女性は即座に声がけができます。
だから女の子を産んどけって言うんですね。人をケアするDNAが備わってるんでしょうか。
酸素マスクを外したばかりで声が出ないカサカサ。
1つだけ手術前に夫に頼んでたことがあります。それは「摘出した子宮の画像を撮っといてね、ね、ね!!たのむよ!」と。
銀のトレーに乗った子宮の画像をバッチリ撮ってくれました。
「これか…こやつか…この子宮が私を喜ばせたり悲しませたり、苦しめたりしたんだなぁ…」としみじみしばし見つめてました。
通常の子宮は80g、私のは300g超え!約4倍!!
何でこんなことになるのかなー、ならない人もいるのにね。
私の身体から臓器が一つ減ったというのは、不思議な感覚ですね。だって何一つ生活で不自由は起きないんだから。子供を産めない以外は。
とにかくは子宮さん、42年間お疲れ様でした!!
次は、手術後に渡した夫への手紙です。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)