成人式の晴れ着の事件、本当に腹立たしいですね。ウェルカム大人!って私たちが未成年を暖かく迎えるめでたい日なのに、晴れ着のお金持って雲隠れ。おばあちゃんの着物も預けたきり手元にないというお嬢さんも。急遽支援の輪は広がったけれど、多くの人が着物がなく帰宅する事態に。
経営破綻は事情があったとしても当日に閉店したらその娘たちがどうなるかくらいわかるはず。計画的犯行すぎて悪質。大人として申し訳ない。
で、この件に関して業者への批判コメントは当然みんな共通ですが、興味深いのはその他のコメント…そこに注目してみました。
晴れ着を着れない人もいるんだから贅沢
これは…どう思いますか?たしかに子供の貧困、格差社会の問題は深刻です。
でも、
被害に遭った彼女たちに寄り添う言葉ではありません。寄り添おうとは思ってないんだろうけれど、今そこと比較する意味は何?寄り添わなくていいから、更に傷つける発言はやめて欲しいです。
不妊で悩む人に、結婚してるんだからいいでしょ、死なないんだから、難病で苦しんでる人よりいいでしょ
流産した人に、妊娠しただけいいでしょ
二人目不妊に、子供が一人いるからいいでしょ
無意識なのか、会話の中でよく交わされる比較の言葉です。
呆然と立ち尽くして泣いていた彼女たちはこの日まで自分の成人式の日を準備していました。祖母から母から、着物を通じて大切な思い出をつなぐ日だったかもしれません。
それがその日、式典の直前に突然消えたんです。思い描いていたストーリーが白紙に。
「晴れ着を買えない人もいる」の家庭では、うちは晴れ着は買えない状況というは暮らしの中から気づいてて、晴れ着が着たければなんとか知り合いから借りるか、借りるほどでもないか、自分でお金を貯めるか、状況を受け入れる「時間」があります。
着物がないだけでどうして式典まで不参加なの?
という声、これも…20歳になって考えて欲しい。
晴れ着をちゃんと来て集まった友達の中に行けますか。記念の写真撮るんですよ。常にインスタジェニックを感じながら生活している20歳です。40歳じゃないんです。自分が主役になるステキな写真を残したかったんです。着物が無くなったより辛いことはこの世に山のように存在するけれど、それを経験してる大人じゃないんです。
着物、たしかにそれはただの衣装。でも、着物がないならほかの服で出席しようとはすぐには思えない。想定外の悲しいことが起こった時、悲嘆プロセスとしてはじめに否定、ショック、麻痺があります。次に不当感や怒り、これはどうして私が…という感情。更に不可逆性も彼女たちを苦しめます。成人の日は一生に一度なので戻ってやり直せない。
その他にステップ踏みまして、最後にやっと受容、他のストーリーの構築があります。悲嘆プロセスにかかる時間はその人によって違います。
流産、死産のケアでお話ししてるものです。
式典に不参加でも誰も責めることはできないでしょう。
被害に遭われた20歳の彼女たちの心情を考えて大人として発言していきたいです。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)