こんにちは、お盆休みですね。いかがお過ごしですか?お互いの実家に帰省している人も多いですよね。
帰省の最大の目的は「孫を見せに帰る」ですが、子ナシだとちょっと手持ち無沙汰。居場所がないことは目に見え、行く前からブルーになることもあります。
ああ、ほんと、子供さえいればまるく治まるのに・・・
たまにしか会わない親戚に「子供はまだなの?」と第一声で聞かれたり、誰かの赤ちゃんが生まれれば「次はあなたね」と期待されたり、「あなただけの身体じゃないんだから冷やさないでね」とプレッシャーをかけられたり、子ナシ夫婦の帰省は苦い話題のオンパレード。なんでここに来たんだろうと後悔することも。
親戚から「子供はまだ?」と聞かれた時、私は返す言葉が見つからなくて黙ってました。心の底では毎度のその話題に辟易し、なんでそんなこと聞くんだろう、もう聞かないでおくれとイライラが募っていました。イライラの大きな理由は、
・妊娠まだ?と聞くことで妊娠が早まると思っている
妊娠まだなの?と連呼する人は、いったい何のために言っているんでしょう。残念ながらあなたの言葉では妊娠は早まりません。それどころか逆効果です。「まだ?」というその言葉は現在の状況を否定する言葉です。妊活を数ヶ月経過すると授からなくて焦りを感じます。そこに「まだ?」とプレッシャーを浴びることになり、もっともっと排卵日を意識して夫婦仲が不自然になってしまい、妊活どころじゃなくなります。
・こちらの苦労を知らないのに気軽に言われる
自然に妊娠する人が多いのに、病院に通い積極的に子供を授かるために努力している妊活中のみなさん。できることはやっている。病院だけじゃない、妊活に良いとされるヨガや整体、漢方、いろんなこと24時間試している。なのに何も考えてないみたいに言われてしまう。そんなことはありませんか。
「子供のこと何も考えてない周囲から見た私」と「病院に通って努力してる本当の私」のズレです。これは、私が妊活を告げてないので生じたものです。
では、妊活宣言すればいいという簡単なことではありません。
子供が授からないということは、当事者にとってできれば宣言したくないことです。
どうして宣言したくないの?と思った人いると思います。人間には得意不得意があって良いじゃない、完璧人間なんていないのよ、子供ができなくても他で十分優秀な人いるよ、という言葉はありがたく受け止めるとして、
「英語しゃべれないんです」と「子供が授からないんです」は別もの。
他人と比較していろんな劣等感ってあると思います。テストの点数が悪い、良い大学ではない、ピアノが下手、英語が上達しない、留学経験が自分だけないとか・・・でもこれらはすべてスキルアップのことですよね。
子供を産むことはもともと備わっている能力です。人だけじゃなく、動物にも。子孫を残すことでいうならば植物も虫も成せること。練習したり勉強して習得するものじゃなくて「誰にでもあるはずの能力がない」という点が大きく違うんです。
少し想像いただけましたでしょうか。
親や親戚は、私よりも20歳も30歳も長く生きている大人なんだから”世の中には子供が授からない人もいる”ってことくらい想像してほしいものですが・・・彼らの頭の中は「子供は作ろうと思えば作れる」という考えが根深くあるので、いざ勇気をもって公表しても「妊活しているけれど授からない」あるいは「不妊クリニックで不妊治療しているのに授からない」という事態は理解不能の可能性があります。長い時間じっくり話をすれば分かり合える、もしくは理解しようとする気持ちになるでしょうけれど、親戚の集まりというのはじっくり話す場面なんてなくて、お酒を飲みながらいろんな話題が飛び交っている中でポンっと「子供はまだなの?」と投げかけられるものです。
その場で戦わず、本当に打ち明けたいなら個別に場を変えて話をしましょう。
帰省された方、お疲れ様です。どうぞご自分を労ってくださいね。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)