私の最後の不妊治療を書き留めておきます。
保存していた凍結卵を数年ぶりに移植しました。最後の1個です。
そして2週間まち判定日・・・結果は陰性でした。
やっぱりか・・・という感じですが、どこかで1ミリくらいは期待してしまう気持ちを、味わいました。人間はどこまでも前向きなんですね。
私は「サクラ咲く」にならなかったけれど、クリニックの帰り道に中目黒を通りかかったら満開でそれはそれはため息が出るくらい見事した。道行くおばさんもおじさんも、若いカップルもみんな足を止め写真を撮らずにはいられない美しさで、「青空に桜」の前ではみんな自然に笑顔になるんですね。日本人の桜を愛でる心はDNAに埋め込まれているかのようでした。
28歳に結婚したときにはこんなに長旅になるとは思いもよらずでした。クリニックの扉を叩いたのは30歳、遅いということは無かった、妊娠適齢期の知識のある私と、家庭よりも周囲にばかり目を向けていた夫、夫婦で意見がすれ違うのも当然。どうして離婚しなかったんだろうって七不思議のひとつです。
流産、死産があって、もっともっと子供をこの手で抱きたい気持ちは強くなりました。
「自分の子が産まれて、夫婦で育てていく」という普通だと思っていた図が私の人生にはもうないんだな…と考えると、とても残念でなりません。
クリニックの先生がおもむろにお疲れ様の握手をしてくれて、それがギッシリと力強く、大きな手で。支えられてここまで来たことをうわっといろいろ思い出して、自分の苦労というよりはクリニックの温かさというか、不覚にも診察室で涙が出てしまいました。おっとまずいまずいっ、他の患者さんもいますし…と深呼吸。
長い妊活マラソンでしたが、赤ちゃん連れではなく単独ゴールとなります。
これからは新しい人生を描きなおしていくことになりそうです。そちらもまた険しい道と思います。
私の移植を知った友人や、SNSで出会った方々、クライエントさんまで身体を気遣ってくれてありがとうございました。このマラソン、良い出会いがたくさんあったと思います。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)