昨日の夜は土砂降りの雨でした。それなのに傘を電車に忘れたバカな私は、かなり濡れて帰宅。寒い…
雨の日は家で読書タイムが至福のとき。これは夫もそうです。雨の音しかしない静かな部屋で黙々と読みふけります。
ああ、これは子供がいない夫婦のあるあるかな。ちびっ子が1人いるだけで静かなひと時なんてないもんね。自分のスケジュール次第で手に入る自由…
さて本題、子供が似ている似ていないって話だけど、私は東野圭吾を制覇してからは湊かなえが好きで、昨日「豆の上で眠る」を読み終えました。
DNAの話とか出てきて、親子が似ているとか姉妹が似ていないとか、そういう話。
ふと思いました。
私たちに子供がいたならば、私と夫に似ているでしょう。かつて愛した夫の面影をしてる男の子、私に似ている女の子。それはやっぱり一般的にイケメンとか美人じゃなくても「若さ」という輝きを持っている。老いていく私たちではなく、過去のフレッシュな自分。
私はその子に会いたい、見たい、どんな楽しい出来事があったのか一緒に話をしたいと思っていた。
今妊活してる人はきっと将来子供としたいことをたくさん思い浮かべているよね。
DNA血の繋がりがなくても家族になれることはたくさんの養子縁組した家庭や里親家庭を見ていてわかった。(努力と知識は必要だけど)
でもそれとは別のところで、自分に似ている子に会いたいと思ってしまう。いないのに。人造人間みたいに造れないのに。
自分は老いていくばかりだけど、もう一度娘を通じて人生を楽しんでいるような、そんな気持ちになるのではないかと…
テレビの街角インタビューで買い物してる母娘なんてそっくりで、それだけでも羨ましく見えるときがある。
私かつて出版社に勤めてて、ベビー服と妊婦服の雑誌編集部にいました。いつか自分も読者になるぞ!って思って働いてた。現に社販で安く買えるセールではベビースタイとか買ってたもん。いつか使う!って夢を抱いて。
10年ぶりに職場同僚が集まるビッグイベントがあったのですが、結婚出産した人もいて、そりゃ10年も経てばね。
妊娠中の人の大きなお腹を見て、「その子、あなたに似てるんだよね〜」って心の中で考えてた。当たり前の話なんだけど、私にとってはすごいなぁ〜〜って思うしかなく。育つところには育つんだってね。
湊かなえを読んで、そんなことを考えた土曜日の昼下がり。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)