麻酔が覚めて部屋に戻ってもまだ麻酔は残り、うつらうつら・・・夜になり義母に続き夫が帰宅。そこからが本当の苦痛との戦いのはじまりだったとは。私は甘くみてました。
消灯後、身体の特に背中と腰が痛くなり始めました。正確には痛いことに気づき始めたんです。
考えてみると13:45から手術室へ入った時からすでに10時間は寝返りもせず同じ体制!両足には血栓予防のエアーマッサージャーが巻きついてて汗べっとり。ベッドマットは人型に深く沈み、腰痛にはきついお尻が沈んだ姿勢。尾てい骨にズキンズキンという重たい痛み。どんどん酷くなり、手術の痛みよりこの体制に限界。さらに水分禁止はまだ続いてて、そろそろ24時間!唇も喉もカラカラ砂漠。
小さい箱に閉じ込められて脱出だできないままラストを迎える謎の映画「リミット」を思い出しました。ただ箱から出られないだけの1時間半。不快度マックス。
それと同じくらいつらい、つらい、つらい
自分じゃ動けない。ああなんて、人間って無力だろ。水、せめて水を…
2時間おきに検温に訪れる看護士さんに背中が痛いことを告げると、横向きになりますか?と言われ背中を支える枕をもらいました。なってもよかったのかい。そして背中を押してもらいました。強くツボ押しのように。ああ、リンパが初めて流れた…。自分がもう一人いたらずっとツボ押しやらせる。
ここの病院は散髪ルームも、付き添いの人の出前サービスも充実してる。手術後のこの苦痛で苦しんでる人、私以外にもいるはず。看護士さんはマッサージしてくれるけどやっぱり忙しい。手術後のマッサージ派遣があればどんなに良いだろう。西洋医学と東洋医学の理解の違いなのかな。心地よい術後は薬ではどうにもならないこともあると思うんだけど。
そしてその後は2時間おきに右向き、左向きと変えてもらいました。その度に背中を押してもらい。これはもうおばあちゃん。
明け方6時頃まで私が暗い中で考えていたのは、水が飲みたい、マッサージ師がいればいいのに、老後寝たきり生活になったときは安楽死とか真剣に考えるわ、という3つをぐるぐる考えてました。長い長い夜でした。
6時に採血、検温もろもろ、
朝ごはんは8時、あと2時間もある。水もそれまでおあずけ…砂漠状態続く。喉が渇いて死んだ人っているのかな…いないよね。点滴はしてるので脱水状態にはなりません。
つづく
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)