春は出会いと別れの季節ですね、鎌倉の桜はまだ6分咲きくらい。東京は満開のようです。
昨日、ポンポポンポポンポンキッキーズのポンキッキーが最終回でした。ガチャピン、ムックさようなら。まだやってたんだ!!という驚き、そして45年の歴史は夫の人生と同じ!ああいうものに流行りがあるとは思わなかったですが、不動のものはこの世にはないということですね。
そして「みなさんのおかげでした」も最終回。もうとっくに見てませんが、「です」から数えると30年の長寿番組。今までのVTR、もう、清々しいくらいやりたい放題。テレビマンのいい時代・・・。スタッフを出演させて身内で笑うシーンばかり。なんでこれがゴールデン番組として成り立ってたんだろ。野猿が歌手デビューして視聴者が笑っている間に作詞作曲の後藤次利と秋元康がどんどん儲かるシステム。若かりし頃のようにシンプルに楽しめない自分を感じました。
LGBTもギリギリ、いや、アウト。高校生役のノリコが思いっきり教師にハリセンで叩かれて大爆笑、パワハラやセクハラの疑わしいところももっともっとあったかも。視聴者への影響は大きい。
良い機会なのでバラエティ番組を通して最近感じてるモヤモヤを考えてみます。
ついこの前、「保毛尾田保毛男」が久しぶりに番組に登場してハラハラしてたらやっぱりすぐ問題に。なんで同じキャラクターなのにダメなの?シャレがわからない過敏すぎる世の中になった・・・というコメント欄を見ました。
うーーん、そうかな。
同じように「結婚しないの?」「子供はまだ?」と聞くとセクハラ、上司が飲みに誘うとパワハラとか…同じ言葉でも昔は良くて今はNGということがあります。教師が生徒を叩く、スパルタ塾で尻を蹴る、ビンタする、もちろん親の躾のルール、暴力は論外ですが家に入れない、押入れに閉じ込めるとかも今は虐待になります。
過敏になったんじゃなくて、当事者の声が社会に届くようになったんじゃないのかな。
ここで弊害になるのが、意外なことに昔体験した人(当事者と言えるのかわからないけど)たち・・・
セクハラ関係では「私がOL時代にはお尻触られるのはしょっちゅうだったわよ」「飲み会の席で女子社員はお酒をつぐのが仕事だった」とセクハラを容認するような発言をする女性。子供への虐待では「うちはもっと厳しかった!ぶっ飛ばされた」と自分の話にしちゃう人。子供の前ではタバコを吸う人の定番の言い訳が「自分が子供のころは両親スパスパ吸ってたよ」です。本来なら味方になってくれるはずの体験者の言葉が周囲を惑わせてしまう。
今苦しい人の話を自分の話にすり替えないでほしいです。
「厳しいしつけがあったから今の自分はある」「いつか親に感謝する時が来る」と美談にする大人が多いけれど、あなたが虐待されてる子供の気持ちまで決めることはできないんですよぉ〜。
そして、昔は許されていた=嫌と思う人がいなかった、ではありません。
嫌と言えない世の中だっただけです。今は、「保毛尾田保毛男」のキャラクターはLGBTを笑う要素があり傷ついている人がいると知りました。「昔は許されてた」にこだわらず、今それを知って新しく考えればいいと思います。
犬にご飯粒を与えてたけど、本当はすごく負担になっていたとか、左利きを右利きに矯正すると脳に悪影響があるとか、受動喫煙の危険性とか、叩かなくても子供をしつけることはスウェーデンが証明してるとか、昔常識でも、数十年で研究され新しくわかってきたことは果てしなくあります。私たちは日々新しい知識を得て積み重ねているんだから、今日より昨日は無知でも当然です。それを認めて時代と一緒に変化しながら柔軟に生きていけたらいいよね。「私の時代では普通だったよ」は若者に言いたくない。
長寿番組はそれを確認する良い題材でした〜
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)