子ナシの年賀状問題について幾度となくブログで書いてますけど、今年は世の中的にも年賀状は消滅の方向に向かっていて、これは不妊の方々にとって良い知らせではないか。チクっと胸が痛くなる瞬間が一つ減るかもしれません。
年賀状…
私は2012年からやめました。それまではなんと小学生から続けてて、かなり好きな作業だったし、もらうのも好きだった。でもいつからか、多方面から「赤ちゃんまだ?」「子供早く作れよ!」「次はあなたね!」「赤ちゃんまだかー?」のオンパレードとなり、その文字は元旦から呪いのように私を苦しめるようになった。
相手から送られてくる写真には目でわかる成長が見えるのに、こちらは新しい報告もなく妊活は停滞し、毎年変わらない夫婦二人きりで、そんな状態の自分がほんとに嫌だった。
相手の嬉しい楽しいはずの報告を見ることがこんなにも自分を苦しめるものに変わるなんて、未婚の時は全く想像もしなかった。
これは…やめどき
そう思って数年続け、勇気なく惰性でやっていた。けど、結局は死産をきっかけにやめました。それから何も不具合は起きてません。私から年賀状の返事が来ないことすら気に留めてないかも。
いま、終活も後押しし「今年限りで年始のご挨拶を控えます」という最後宣言が流行ってるんだって。
年配の方は礼儀正しいですね、自然消滅するよりご挨拶をきっちりする。素晴らしいです。
私がやめたきっかけは死産といいましたが、もうちょっと詳しく書くと、
死産したことを知っている親しい人から「産まれました!」と赤ちゃんの写真年賀状が届いたからです。
その年賀状でよーくわかりました。いろんなことが…
お正月は私の出産予定日付近で「いつ生まれるのー?」「そろそろー?」というメールや年賀状はあちこちから届いて、ひとりひとり応えるのがつらかったかど、でも、死産知らない人のそれは仕方のないご挨拶だと飲み込んでいた。
死産というのは私にとっては大切な赤ちゃんの命の死で、新年は3人で過ごすことだけを夢見てて、赤ちゃんのお披露目を親戚一同にやっとできる…と思っていたから、赤ちゃんが居ないお正月の風景を受け入れることができず、暗闇の中で生活してた。年が明けて、おめでとうございますなんて気持ちにはならない、それが喪中というものなんだけど、死産を知っている人、それも直接話した人なのに年賀状、赤ちゃんを亡くした人に赤ちゃんの生まれたての写真…というのがとても悲しく、もうその場にうずくまった。今もその年賀状を見たその瞬間に戻されて胸が苦しくなる。
逆の立場で、もしその人の子供が亡くなった翌年、私はそのことを知っていたらその人に年賀状は出さない。私に子供がいたら子供の成長を感じさせる写真をあえて見せない。それは一般的に普通なのにな。
やっぱりやっぱりやっぱり、生まれる前の命は軽視されるんだな…と、深く痛感した。
死産した家庭はつらくて大変だとは思ってくれてる、でもそれと自分たちの赤ちゃんを見て欲しいのは全く別物と思える感覚。
それくらい「当事者と当事者以外には差がある」ものと身をもって知りました。不妊や死産では私は当事者だけど、それ以外は当事者以外になる。そのことはこれから忘れないようにしたい。
新年から気が重いと悩んでる人は年賀状じまいを考えてもいいかもね。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)