今年も始まりましたね。平成最後(そろそろ飽きたこのフレーズ)のお正月いかがお過ごしでしたか。
私は子宮全摘術をしてから1年です。ふーーー、手術したのがもうずっと昔のような感覚です。子宮を摘出してどう?と友達にもクライエントさんにも聞かれるので、この1年の振り返りを書き留めておきます。長いですが・・・最後まで読むとストーリー完結します。
あっという間に子宮全摘の手術の日
手術の話がもちあがったのは2017年10月、そこから年末の手術の日まではトントンとあっという間でした。全身麻酔だから寝ている間に終わるだろう、と手術への不安はなかった。「子宮がなくなる、もう子供は100%産めない」ということは今までの歩みで受け入れていた部分が多いので、すでに「これが今の自分にとって最善の選択なんだ」と思えていたところがあり、気持ちの面も穏やかでした。
手術後の生活
退院したのは12月30日、お正月料理はそれほど食べられないだろうと簡単なものに。歩くのもやっと、近くの公園に夫とリハビリとしてゆっくり散歩。子供が産めないことを考える時間はほぼない。
深夜の再入院
退院してから10日経過した頃に微熱が続き、夜に急激に腹痛。耐えられず悲鳴をあげるほど。夫に病院に連れてって・・・と脂汗をかきながら頼む。再入院になってしまった。病室に案内されたのは未明の4時・・・。二人ともクタクタ。治癒力は衰えているとはいえ、自分の力のなさにがっくり。5日間の観察入院中に何事もなかったので退院。
まさかの救急車を呼ぶ
もう3度目の入院は絶対にさけたい!と仕事もなにもかもセーブしていたのだけど、2月のある朝、ぐーーー、と締め付けられる胃痛のひどい版。呼吸も浅くなり結果的に119番をコール、生まれて初めてです。近くの総合病院の救急にパジャマのまま運ばれた。みんな優しい。痛みの数値は非常に高かったものの原因は不明でした。痛みがおさまり入院は免れたけど体調が戻らない自分に再びがっくり。
体調が良くなる春
この2ヶ月回復がいまいちですっきりしなかったけど、3月になり急に元気に!手術したんだっけ、と時々思い出す程度。朝、無意識にのびのび〜〜ができるようになっていて、あ!!これは普通に戻れたぞと実感。そしてその頃に月経がないことの喜びをやっと感じる。みんなより10年早く(閉経までのおよその期間)楽になったぞー。仕事はもちろん、友達とのごはんも、キャンプも旅行も帰省も予定が組める!!これは私にとっては大きなストレスだったのです。良いことに目がいく。
冷えを感じない夏
体調の変化はこのころから。今までは椅子から立ち上がる時、ほぼ毎回ふらついてました。クラクラと立ちくらみ。でもそれが私の人生では「普通」だったので、他人や医者に「それ異常」「普通はならないよ」と言われること度々でした。かつてほうれん草やレバーを積極的に摂取していても効果は得られなかった。同時に冷えもひどく生鮮食品の売り場に近づくと凍るように寒く、夏でもUGGブーツ履いて靴下重ねばき、and 腹巻してた私。でも!!この夏は立ちくらみのクラクラ〜と、冷えがない!やったー!気持ちの面では、手術から半年経過したのでそろそろ子供が産めないことでがっくり喪失感に襲われる日が来るのかな〜〜、と思っていたけれどびっくりするほどそれはない。私は私、臓器のひとつを病気でとっただけ、私の子宮は全力は尽くした、そんな気持ち。
目に見える改善
10月に健康診断を受けました。すると、なんと貧血の値が改善されてたんです!!
貧血の数値はヘモグロビンの値で判断します。(女性は12〜16が正常値)
健康診断の過去数値で比較してみます。
(2007年 11年前:32歳)12.3
(2015年 3年前:40歳)9.4
(2017年 1年前:42歳)9.0
そして
(2018年 現在:43歳)13.2!!!!! きゃ!
11年前よりも良い数値をGETーーーー!うれしすぎる。冷えも怠さも疲れもないわけだ!顔色良い、顔がふっくらしたと言われるようになりました。さよなら疲れ顔っ!
手術したタイミングについて
もっと早く手術していればもっと早く快適な生活が手に入ったとは一瞬考えるけれど、それはやっぱりタイミングが去年だったのかな〜〜と思います。不妊に配慮してくれる婦人科の先生に出会って、その時通っていた金継ぎ教室の仲間に出会って、ボランティアメンバーが心の支えになり、友人にも不妊経験後に子宮摘出している人がいて・・・、年齢ではなくサポート環境が整ってたときだったのかな。その波にのっただけ。あの時波にのってなかったらのらりくらりしてたかもしれません。
妊娠の可能性が0になってスッキリ
妊活している人は自分の妊娠の可能性が気になりますよね。うまくいかなく妊活が長期化したとき、やめどきを考えるでしょ、で、でも、「まだ可能性があるなら続けたい」とやめどきを遠ざける言い訳に使っている自分がいました。ミラクルはどの世界にも起きますから医師は超高齢出産だって0とは言えないの知ってるのに・・・。
現在、私の妊娠率は完全に0%になったわけですが、不思議なことにスッキリです。迷い続けるのって疲れますよね。答えがないから誰も答えられない。解決できる悩みなら、良いんですけれど。かつてリフレッシュしたり治療を休憩したこともあったけどやっぱり妊活を完全に切り離したことがこの10年、1日もなかった。頭の片隅に住み着いている座敷わらしのような存在。
やっとさよならできました。
喪失はとっくにやってきてた
ここまで読むと、なんてことないのかな?葛藤がない?子供が産めない、授からない喪失は無い人なんだね、と思われちゃうかもしれないけれど、そうではなく、子宮全摘のずっとずっとずっと前にすでにその大きな喪失は感じていたと言った方が気持ちに合っています。あと、迷うことがなくスッキリしたのは事実だけど、生きている子を産みたかったな、という気持ちは抱き続けると思います。その気持ちに揺さぶられ1日ブルーになることはもうないけれど。
2019年のお正月
すっかり元気になったので、お正月の親戚の集まりを初めて我が家で開催することができました。お正月の予定ってあらかじめ決めるでしょ、もしも月経痛があったら日程が確定できないからホストは無理でした。できないことに目を向けるよりもできることが増えていく、そんな小さな幸せを積み重ねていきたい2019年!
平成最後の今年の豊富でした。
1975年生まれ。不妊ピア・カウンセラー。「コウノトリこころの相談室」を主宰。28歳に結婚後、妊活をスタート。人工授精、体外受精、10年以上の不妊治療では二度の流産、死産を経験。子宮腺筋症で子宮全摘。44歳で生後5日の養子を迎える。数々のメディアや、大学で講演活動を行うなど、実体験を語っている。これまでの体験を綴ったエッセー、夫婦共著「産めないけれど育てたい。不妊からの特別養子縁組へ」2020年9月出版(KADOKAWA)